頻繁に同じ店に通っているらしい。
「何をしているのか様子を見てこい」
ジョンがこんな風に長男の行動を詮索するのは珍しかった。それをサムに探らせるのもだ。
「兄さんだって気に入った店に通うくらいするでしょう」
素直な疑問を口にするが現当主である父の表情は変わらない。
「店はここだ」
そういって見せられた紙を見て、サムは思わず目を丸くする。
「カード会社にハッキングしたんですか?」
一族の活動はグレーゾーンなものも多いが、ここまではっきり違法行為をすることはあまりない。
片棒を担がされるのかと内心ため息をつきながら店名を見て、サムはそこで少し父親の疑問のわけが分かった。
サムでも名前を知っている大手ホテルのスカイラウンジだったのだ。当然ながら一回に使う額もゼロの数が違う。兄の収入で払えない額では決してなかったが、普段の生活ぶりとの乖離が余りにも大きかった。
「それで付いてきたのか?御苦労だなお前も」
呆れたように目を見開くディーンの隣で、サムは肩をすくめた。
「…まあ、多少物珍しさもあって」
様子を見てこいと言われても同じラウンジに入ればどうせ見つかる。開き直ったサムは兄が店内に入ろうとする手前で声をかけたのだ。
断られるかと思ったが、兄はあっさりサムを連れたまま店内に入った。注文を取りに来たウェイターに慣れた口調でなにやら伝えている。運ばれてきたグラスが二つだったので、サムは少し驚いた。
「え、一緒に頼んでくれたの」
「好きなものを飲みたければ自分で注文しろよ」
そう言う割にグラスの中身には大して興味がないらしく、外の景色に目を向けたりしている。
「…それで」
接待の女性が付くような店でもなく、見たところ店内に兄に用事がありそうな人間もいない。
プライベートに口を出す気は無いが、それならさっさと確認して退散したい。そう思ったサムが口を開きかけたところでディーンが、
「来た」
と呟いた。
視線の先を見やると店内に置かれたピアノの前に男が座ったところだった。よくあるちょっとした口上の後、よく知られた曲を弾き始める。腕は普通だった。こうした店で高いチャージと引き換えに客に提供されるサービスとしては。
「……何か感じないか」
兄の個人的嗜好の問題だったのだろうかとサムが悩み始めたところで、ディーンがそっと尋ねた。
「え?」
「今は正直俺も分からないんだが、時々あの男が引っかかるんだ」
兄の性的嗜好に一大変化があったわけではないらしいとほっとするが、今弾いているのが映画音楽であること以外何も感じない。
「…魔物かもしれないなら、一人で近づいたらだめだ」
低く呟くと、分かってる、とディーンも低い声で返してくる。
「何か話したの?」
「いや」
平凡なピアニストの何が兄を刺激しているのかわからないまま曲を終わる様子を見ていると、男の様子が不意に変わった。天井の方を見上げると目を見開き、ビクリと一度身体が跳ねる。
異質な気配に一気に体中の毛が逆立った。
「兄さん」
男に目を向けたまま呼ぶと、隣で頷いた気配がある。
ピアノの前の男は、一見先程と変わらずに座っていたが、その視線がゆっくりと二人の方へ向けられた。
「Hello、ディーン」
その抑揚に息を飲む。呼びかけられた当の本人は怪訝そうに眉をひそめているが、サムの記憶にはその抑揚があった。
「天使だ」
「え」
応える間も惜しく手のひらを浅く切り、万が一と思って持ってきていた天使除けのサークルに押し付ける。
静かなラウンジに突然突風が起こり、収まった時にピアニストの姿はなかった。
「天使だと?」
「そうだったようです。今まではっきり気が付きませんでしたが」
「何を言われた」
「まだ何も。今日、名前を呼ばれたのが初めてです」
「そうか…」
ディーンが天使に接触されかけること自体は初めてではない。むしろ多い。
だが、こんな風に気配を感じつつ延々と何もしてこなかったというケースはなかった。
報告を終えて二人は部屋に引き上げる。
「何だったんだろうなあれは」
店への今後の出入りを正式に止められたディーンは、釈然としない様子で首をかしげる。
「新しい接触方法だったのかもね」
「ずいぶん悠長だったな」
「接近する回数が重なることで、何か影響があるのかもしれない。警戒心が薄れるのも一つだと思うよ」
「そうだな…」
兄に告げることはなかったが、記憶の中にある世界ではよく自分達の傍にはぐれものの天使がいた。あの世界でなら、単に顔を見に来たと思えるところだろう。
だが、現実は違う。
兄を呼んだあの抑揚は記憶のままでも、あの天使ははぐれものでもなく、友人でもなく、ただ神の戦士だ。近づいて何をする気だったのか想像し、サムは少し身震いをした。
終わります
MOLの兄弟は伝票にびっくりはしませんでしたね。でも最後の会計は店内がばたばたした御詫びになしになったに違いありません。いいなあ…
[18回]