「え、嘘あんたまだ着替えてないの!?」
突然珍妙な格好をしたウェッソンが部屋の入り口に現れて、ディーン・スミスは寝不足でひりひりする目を見開いた。
「何だお前…今日はシフトじゃないのか」
コールセンターでのバイトの傍ら学生だったり投資家だったりするサム・ウェッソンは制服である黄色いポロシャツ以外の格好で顔を見せることもあるにはある。
だが、今日のこれはまた違う。黒いタキシードは似合っていないわけではないが、全体的にわざとらしいほどクラシックな縫製だ。
はっきり言ってやったものかどうか思いを巡らしながら重苦しい眉間を揉んでいると、入り口に立ったままのウェッソンがはーっとため息をついた。
「もしかしてあんた、忘れてるね?」
「何がだ」
「もうパーティ始まるよ。下の会議室に皆集まってるけど」
はっと思いだして卓上のデジタル時計を見る。
「ハロウィンか!」
すっかりきっぱり忘れていた。前の会社ではこんなイベントをやることがなかったからだ。思わず立ち上がるとウェッソンがあーあという顔をする。
「仮装の準備してる?」
「いや」
なにせ来月のプレゼン準備に集中しきっていたのだ。
「皆来ていると言ったな」
どうしようか考えながら使えるものがないかと部屋の中を見回していると、自分の準備なのかその辺のデスクに小さな鏡を置いて顔に青白い顔料のようなものをはたきだしたウェッソンが、
「Mr.アドラーがローマ皇帝みたいな恰好で嬉しそうに歩いてたよ」
と返してくる。
ますますまずい。上司がノリノリのイベントに欠席するわけにはいかない。
と、顔を塗り終わって玩具の牙を装着したウェッソンが仕上げとばかりにばさりと襟の高いマントを羽織る。分かりやすくドラキュラだ。
「どう?」
「似合う」
考えるのが面倒でみたまま返すと、ウェッソンがニコリと笑った。牙が見えるが。そして、
「僕のポロシャツ使う?」
と訊いてくる。
「はあ!?」
「下のロッカーから取って来ようか。ポロシャツ着てヘッドセット付けてコールセンターの仮装ってことにしたら」
「…」
瞬間そうしようかと思うが、余りに手抜きだ。そしてやるならちょっとフロアマネージャーに声をかければ手に入るポロシャツを、なぜバイトに借りるのかと、万が一追及されると答えられない。
実のところ部長とバイトの関係は、社内のあらかたが知っているのだが気付いていない本人は真剣だ。
また悩んで身づくろい用の鏡を睨んでいると、後ろからコスプレ吸血鬼がふざけてがばあとマントを広げる。顔をのけぞらせると首の辺りに少し塗り残しがあるのが見えた。
気楽な顔しやがって。
そう思ったところでふと気づく。
「…おい、さっき塗っていたドーランを貸せ」
そう言って手を突き出すと、
「いいけど」
とウェッソンがぱちぱちと瞬きをした。
「なんか、迫力がありますね部長」
「そうか?ありがとう」
パーティー会場でグラスを持って歩いていると、銀色の甲冑をがしゃがしゃさせた上司が、がしゃりと肩に手をかけてきた。
「ローマ皇帝ですか?Mr.アドラー」
「君はゾンビか。腐り具合がやや不足気味だな」
「新しい死体ということで」
ははは、と笑う上役の機嫌がよければ上等だ。
覗き込んだ鏡の中で、我ながら目の充血と隈がすごかったので、ポロシャツにする前に試しにウェッソンから借りた顔料を塗ってみたら、顔色が違うだけですっかり不気味な物体になった。
これはいけるということでスーツのネクタイを緩め、髪を乱してみたら、会う人間悉く、
「ゾンビですね」
と言われる。
「ポロシャツ貸してあげたのに」
通りすがりのドラキュラがやっぱり不満そうにぼそりと言ったが黙殺する。
例え洗濯済みでも、ウェッソンの服をたまに借りると何となく相手の匂いがするような気がするのだ。しかもでかい。
そんな居心地の悪い心境で、必ずしも味方ばかりでもない社内の連中に顔を晒すわけにはいかなかった。
くどいようだが営業部の部長とバイトのあれこれなど、当の昔に広がりきってニュース性もないのだが、本人はやっぱり真剣なのだった。
終わる。
し、しまった。交換して居ない…しかし一発書きを直す気力はもうない午後23時44分なのだった。
[23回]