弟の所に向かう際、飛行機にしなかったのは万が一パイロットに憑依でもされた場合、生き残れる可能性が無いからだ。
そして防御の点では一番といえる車での移動を選ばなかったのは、ここのところの疲労と睡眠不足が、さすがに堪えていたからだった。
ディーンは座席の窓から外を流れる景色を見る。
車両内の座席は半分程度が埋まっているが、ディーンの隣の席は空いている。今後も他の乗客が座ることは無い。父ジョンが「念のためだ」と指定席を押さえているからだ。
そこまでしなくてもとは思ったが、列車に揺られているとうっかりうとうとした時に隣に他人がいる気づかいがないのは確かにありがたかった。
直接顔を見るのは久しぶりだ。
数か月前に会ったとき、ほとんど身長が追いつかれていて驚いた。もしかすると、今回は抜かれてるかもしれない。
何も感じないといえば嘘になるが、自分とて決して低くはない。むしろ周囲と比べても大柄な方だ。もしも本当に俺より高くなっていたら、着る服に苦労しそうだな、と不意に思う。
店で気に入った服を試着すると、ディーンですら袖の長さが足りないことがしばしばある。そう思うとまだ顔を見ていないサムの困惑顔が浮かぶような気がして、少し口元が緩む。
事故を気にせず、ぼんやりとこんなことを考えていられるのは、確かに列車の利点ではあった。
ふわ、と小さく欠伸をする。
到着までまだ数時間あった。
眠るつもりはなかったが、不意に意識が途切れたような感覚にディーンは瞬きをする。
誰も座らないはずの隣席に、仕立てのいいスーツを着た男の姿があった。
ただの座席間違い、のはずはない。
駅に着くたびに車掌が車内を回って席の確認をするし、それ以外でもディーンの皮膚感覚がぴりぴりと警戒警報を発している。
(だが、なんだ)
当然ながらディーンは魔除けをいくつも身に着けているし、隣の座席には悪魔が入れないように簡易ながら結界を張っていた。ちらりと視線を向けると、薄い紙に仕込んだ呪いはそのまま座席にある。
ということは。
(天使か)
心の声が聞こえたかのように、隣の男が振り向いた。
「ディーン・ウィンチェスター」
悪魔のように愛想よく笑うわけでも、むき出しの悪意を見せるわけでもない。あえていうならば義務感と軽い侮蔑か。
「君に伝えておくことがある」
『聞くな』
父と祖父から繰り返しくどいほど言われていることはそれだ。
悪魔にせよ天使にせよ、まずは言葉で人を縛る。そして聞いてしまえば人は必ず影響される。だからとにかく聞くな。
それらが話しかけてこないように侵入を防げ。近づかれたら逃げろ。
だが、相手は既に手で触れそうな位置にいる。
ディーンの緊張が伝わったように、のっぺりした男の顔に薄く笑いのようなものが浮かんだ。
視線が離せまま、ディーンはそっと握り締めていた手を開く。
「…失礼をお詫びしておく」
そして掌に描いてあった天使除けの文様に、もう一つの手のひらを押しあてた。
一瞬の閃光の後、隣の座席は空になっている。
「…効いたか」
サムが出かける前に書き置いて行った『天使を遠くにおいやる文様』はどうも本物だったらしい。MOL本部にはもちろんエノク語の文献は数多くあるが、天使の目を避ける呪文はあっても、直接追い払うようなものはどこにも載っていない。
『夢で見たんだ』
だから頼むから覚えてくれと言われた時は半信半疑だったが、念のためと思って仕込んでおいてよかった。
音はしなかったが、閃光はさすがに周囲の乗客にも見えたらしい。ディーンがなにやらフラッシュか何かでも焚いたと思ったのか、通り過ぎざまに何人かに覗き込まれた。
(手を洗わないとな)
そしてもう一度描き直そう。天使を吹き飛ばすはいいが、すぐに帰ってこられたらかなわない。
ディーンは洗面室を使うべく、座席からゆっくりと立ち上がった。
……というですね、MOLの兄貴が一人でひたすらぼーっと電車に揺られてる妄想が浮かんだわけです。おとーとに何かの用事で会いに行くお兄様。
切れ切れですが更新することに意義がある精神で参ります!
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