モーテル暮らしの多かった幼少期、同じベッドで眠ることは珍しくなかった。
それは単純に金銭面から来る部屋の事情ということもあったし、特に幼いころは神経質だったサムが、しばしば一人で眠るのを怖がったこともあった。兄弟は見守る大人がいないまま、二人きりで過ごす時間が長かったし、ディーンは面倒見のいい兄だったということもある。
だが昔の話だ。
どちらもとっくに成人した今、ごつい体格の家族と好き好んで同じベッドで眠る趣味は兄弟どちらにもなかった。
だがしかし。
夜もすっかり更けた自分のマンションで、サムは少しばかり顔を強張らせて、兄の部屋のドアの前で立ちすくんでいた。
母の敵討ちを終えた兄が一緒に住むようになって以来、部屋のあちこちには目立たないように悪魔や魔物を防ぐ印や呪いが施されている。ディーンは特に家主であるサムに断ることなくいつのまにかその作業を進めたが、それらは本当にごくさりげなく目立たぬように仕込まれていたので、サムは特段、防御について礼を言いこそしないものの、部屋のあちこちを勝手にいじられたことについての苦情を言ったりもしなかった。
しかし防御は魔物に対してであって、水に対してではない。
端的に言えば、サムの上の階に住む住民が洗濯機の排水ホースの不具合に気付かないままでかけた。そして本人の部屋が水浸しになったのは自業自得だが、下のサムの部屋にも被害が出たのだ。
考えてみてほしい。ぐったり疲れた週末に、パジャマに着替えてやれやれと寝室に入ってみたら天井からの水でベッドが水浸しになっていた衝撃を。
もちろん現実的なサムの頭脳は、この光景を見て
「さては水の魔物が」
などとは思わず、
「水道管の故障か」
をまず疑ったわけだが、不幸中の幸いというべきか、元凶の上の住民はサムより少し前に帰宅していたので、ことの収拾は早かった。水は止まったのでこれ以上の被害の拡大はなく、修繕代も相手が全面的に受け入れた。どうせ代理の弁護士が出てくるだろうが、一方的にサムが被害者なので賠償額の交渉程度だろう。だからそれはいい。
問題は今夜の睡眠だった。
サムは一週間の仕事が終わってはっきりいってヘトヘトだった。
水道の被害は幸いにサムの寝室のみで、書斎もリビングも、客間も無事だ。客間で今ディーンが使っているベッドも。
帰宅していた兄は、サムがバタバタしている様子にはもちろん気が付いていて、ことが収まったあたりで、
「お前、今日はこっちで寝るか」
とベッドを譲ってくれようとしたのだが、サムは咄嗟に社会良識的なものが働いて、
「いいよ大丈夫。ソファーがあるから」
と言ってしまったのだ。だが、いざソファーに寝ようと枕とシーツを持って行ってみたら、黒っぽい色のおかげで目立たなかったが、革張りのソファーも多少の被害は被ったらしく、手をかけると部分的に微妙に湿っていた。さすがにこの上では寝られない、いや、寝たくない。
そして今に至る。
時刻は夜中に近づきつつあり、サムは床以外のところで寝たかった。なにせ自分の買った部屋なのだ。
だがしかし、ソファーも無い状態で、兄を部屋から追いだすわけにはいかない。一度断ったのに事情が変わったからやっぱりベッドから出て床か外で寝ろと言うのは、弁護士でなくても顰蹙過ぎる。
しかしサムは深刻に疲れていた。なので代替案をディーンに提案することにした。
軽くノックして声をかける。
「ディーン、起きてる?」
「…なんだよ」
先ほどのやり取りの後、寝ていたらしい兄はやや眉をひそめて扉を開け、そして目を見開いた。
「おい…」
「ソファーで寝ようと思ったんだけど、ソファーもやられてたんだ」
「あー、そりゃ災難だな」
ディーンはばりばりと頭を掻き、「じゃあやっぱここ使うか?」と脱いだばかりらしいシャツを取りながらサムと入れ違いに部屋を出ようとする。
「出なくていいって!」
サムは慌てて止めた。
「でもお前それ寝る気満々じゃねえか」
ディーンが顎をしゃくるのは想定内だ。サムの格好はパジャマの上にガウンを羽織り、ノックしなかった片手にシーツと枕を抱えている。
この格好で察してもらうのは無理だったので、サムは代替案を口にする。
「悪いけど今日、一緒に寝かせてくれ」
「………」
「………」
沈黙が部屋に落ちた。
はっきりいってサムが通常の仕事モードなら、こんなセリフ死んでも吐かない。しかしとにかく眠かったのだ。狭くてもいいからスプリングの効いた寝床で身体を横にしたかった。
多分、目が座っていたのだろう。思いっきり嫌そうな顔をしたディーンは、だが数秒後にため息をついてサムを中に入れてくれた。
客室にセミダブルサイズを入れていたのは幸いだったがそれでも二人には狭い。ディーンはサムに壁側へ行くように言うと、自分は外側に転がった。狭さに耐え切れなくなったらすぐ脱出できるようにだ。
「ああ、助かった…」
ベッドに横になってしみじみと呟くサムにディーンが
「そりゃよかったな…」
と返す。
至近距離で顔を見合わせるとなかなかに気まずいので、二人ともさっさと目を閉じた。子供の頃は同じシーツに潜って寝たが、大人なので予備のシーツを自分用に持参したので動きは多少楽だった。
兄弟とはいえ十年以上ぶりに野郎と同衾なんぞ、気色悪さとせまっ苦しさで寝付けないのではとも思われたが、子供の頃からの慣れと言うのは恐ろしい。
なるべく真っ直ぐ動かぬように寝ようと思った兄弟はどちらも普段より却って寝相が悪かったが、腕が顔面に降って来ようが、寝返りをうって転がってくる相手を何度も押し返すことになろうが、足が乗っかって重かろうが、一瞬目を覚ますものの、結論からすると一晩ぐうぐう寝通してしまった。
一番揉めたのは、サムが持ちこんだ目覚まし代わりの携帯端末が、土曜日だというのに朝6時に鳴った時だった。
「…何か久しぶりだなあ…」
ベッドの上で起き上がったサムがぼんやりと呟くと、あくびをしながら立ち上がった兄が、
「朝飯にシリアルでも食うか?」
と伸びをした。
「いいね」
サムはぼんやり呟いて小さく笑う。
昔怖くて枕を抱えて兄のベッドにもぐりこんだ翌朝は、なぜかよくシリアルを食べた。皿の上にシリアルが出されるときの乾いた音と、注がれる牛乳の白い色を思いだす。久しく思いださなかった朝の風景だ。
もちろん先にテーブルについた兄は、昔のように弟の世話を焼くわけもなく、白いボウルにシリアルをざらざらと注ぎこんで勝手に食べている。
サムも子供の頃のように世話をやかれないことに拗ねるわけもなく、自分用のグラノーラと豆乳を黙って取り出し、ニュースを付けると黙って口に運ぶ。
黙々とした、それでも朝の光の中の朝食だった。
終わる。
「淡淡兄弟で同衾を」というリクでございました。お誕生日おめでとーーーSさん!肝心の同衾シーンが短いけど、淡々はシーツの中で見つめ合ったり、まつ毛やフレクルや唇に目を奪われたりしないのよおおおおお。
途中で風呂入ったけど今30日0時26分。一発書きだけで終わったことだけは自分をほめる。
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