ノックの音に魚眼から外を覗くと、思いがけない姿が見えた。
サムは慌ててチェーンを外してドアを開ける。
「兄さん!?」
「入っていいか」
「も、もちろん」
奥を示すと、黒っぽいコートに身を包んだ兄は、するりとサムの小さな部屋に入ってきた。
素早く部屋の隅々に視線をやるのは弟の一人暮らしを詮索しているわけではなく、様々な事象への安全の確認だと分かっている。サムが施した防御を信用していないわけではないことも。
これはいわばMOLとして当然の習慣であり、家族としての支援だ。
数秒の間の後、ディーンは視線を弟に向け、どう?と言いたげな視線に小さく頷いてみせた。
「この部屋なら眠れそうだな」
「兄さんがそう言うと自信がつくね」
何かと異形にまとわりつかれやすいディーンは、自分の部屋にも車にも、何重にも重なった封印を施している。もちろん常にそこに籠っているわけにはいかないが、眠る時はなるべく気を抜きたい、という希望に両親や祖父も協力した結果だ。
「何があったの?」
緊張しながら尋ねる。兄は仕事もあればMOL内での役割も持っている。ふらりと様子を見に来た、などというわけもない。
「父からの届け物と伝言だ。この数日境界を越えるモノが増えているから、注意しろと」
そう言いながらいくつかの書類と護身用の道具を渡される。
「わかった」
頷きつつも(これだけのためにわざわざ?)という疑問が顔に出ていたらしい。
「通信や輸送の安全が今一つになっているから直接来た。移動を邪魔されないように予告もしなかった。すまないな」
「ああ、なるほどね」
電話やメールにせよ宅配にせよ、便利で早いがいずれも無防備であることも確かだ。原始的ではあるが、身を守れる力がある者からの直接の手渡しが一番安全性が高い。
「じゃあな。お前も元気そうでよかった」
「もう行くの。まだ他も回る?」
「いや。お前は当分帰らないと聞いたから、ついでに様子を見に来た」
そう言って、来た時と同じように素早く出ていこうとする兄の背を思わず引き留める。
「急がないなら、夕食食べていけば?ちょうどこれからだし」
「自分で作るのか」
驚いたように目を見開いた兄の顔に苦笑する。
「貧乏学生だからね。簡単なものだけど」
ディーンの大学は実家から通える範囲だったので、兄弟が離れるのは生まれて初めてだった。
そしてサムのもう一つの記憶の中で、大学のためにサムが家を出たことが兄に落とした影響も知っている。
今の自分達に関連はないはずなのだが、記憶のない兄が、サムの進学が決まって以来、ほんの少しナーバスになっているのを知っていた。
着たままのコートを脱ぐよう促し、一人暮らしの小さなテーブルにもう一つ椅子を運んでくる。
「…なるほど、確かに簡単だな」
しばらくの間行儀よく勧められた食事を食べていた兄が、ついに感想を漏らすのに笑って胸を張る。
「温めるだけだからね!」
ちなみに今日の夕食は冷凍食品のフライと切りかけのチーズ、パンにサラミだ。実家の母メアリは野菜料理も上手かったが、一人暮らしを始めたての若い男にはハードルが高い。
「まあ、たまにはデリでサラダでも買うんだな」
作れ、という無理ははさすがに言いづらいらしい兄にサムは笑って、
「その時はうちに帰るよ」
と答え、兄がやっと小さく笑うのを見て、内心でホッと胸をなでおろしたのだった。
・・・・・・
とかとか。
MOLの兄弟は清らかに仲良し
[26回]