同居してるクレトムの続き
本日のお題は「罪、かもしれない/ごめん、欲情した/きっと依存してる 」でーす。『妙な気配がするから、ちょっと街を離れる。お前はまだ動かないでくれ。また連絡する』
デスクに戻り、留守番電話のメッセージを聞いた瞬間、クレイは全身の血が冷たくなった気がした。
着信は20分前。レストルームに駆け込み、リダイヤルするがトムがでることはなく、留守電に切り替わった。
連絡をくれ、と短いメッセージを残して電話を切る。
落ち着かないといけない。まだ終業時間までずいぶんと間がある。
クレイは大きく息を吐く。バスルームで顔を洗い、ふと目を上げて鏡の中に映る自分を見た。
ぎらつく瞳に思わず口を歪める。まだ何の状況かもわからないうちにこれか。怪しまれないなんて、とても無理な気がした。
何があったのだろうか。
旅をしている頃なら、二人は最後の方ではほとんどいつも一緒に行動していたし、トムが「ここを離れたい」と言い出したら、バッグ一つを持って立ち上がればいいだけのことだった。
日雇いの仕事をしているときもあったが、その日で辞めると告げればそれで済んだし、それによって目立つ心配も無かった。
もどかしい。
デスクで乱雑にファイルをめくる。
普段なら気になる上司の視線も、紙の上に並ぶ数字もどうでもいい。
トムから連絡があったらすぐに合流しよう。
仕事はとりあえず急病ということにしてしまえばいい。家をどうするか。始末はつけてからにしないと、あまりに不自然だとかえってトムと行くのに不利かもしれない。
自分の真っさらな履歴、口座、戸籍、そういったものが、トムが街中で暮らすのに役に立っているのは事実だし、これからも自分がトムに提供できるようにしておきたい。
明日ももちろん仕事にくるつもりであるかのようにしないといけない。
クレイは機械的に仕事をこなし、明日の予定を組んでいった。
目を吊り上げたその姿は、もちろん平静とはかけ離れていたが、鬼気迫る様子にあえて声をかけるものはいなかった。
『俺を探してるわけじゃなさそうだ。』
終業ジャストで部屋を飛び出したところでセルフォンが鳴り、トムの声を聞いたクレイは思わず廊下でへたり込みそうになる。
『なので、これから帰る。・・・大丈夫か、帰っても?』
気配が伝わったのか、トムが心配そうに尋ねてくる。
「もちろんだよ・・・何もなくてよかった」
『うん。でかい店があるから、何か食べるもの買って帰る』
「わかった。気をつけてね」
『おまえもな。バイクでこけるなよ』
「こけないよ!」
セルフォンを閉じ、窓の外を見る。
日が長くなったのでまだ明るい。
ずっと心の中で鳴り響いていたジョーズのテーマが、突然消えたような心境だ。ぽっかりと空気が軽くなる。
さっきまで二度と用が無いと思っていた四角い空間と人間達が、明日も働く職場と同僚に変わった。
「う・・・」
ふと気づいて手帳を確認すると、来ないつもりで機械的に組んだ明日のスケジュールは、まさに分刻みの詰め込み具合になっている。
頭が痛い・・・
そう思いつつも、まだ今の生活が続くことは嬉しくて、クレイはバイクのキーを回した。
家に帰ってくると、部屋には灯りがついていてほっとする。
「ただいま」
声をかけるとトムは大量の買い物をテーブルに広げて、冷蔵庫にしまいかけているところだった。
「おかえり」
ちら、と振り返ってトムは片づけを続ける。
クレイはその背中を後ろから抱きしめた。
「クレイ?」
「何も無くてよかった・・・」
考えすぎの臆病者と言われても仕方がない。もう会えなかったらという考えが何度も浮かんだ。深く息を吐く。
しばらくトムはじっとしていたが、やがてぼそぼそとしゃべりだした。
「旅の間はちょっと怪しいな、と思うことが起きたらとにかく移動していただろ?だから今日、戻ってくる時すごく妙な感じがした。決まった場所を持つと勝手が違うもんだな」
「僕も、すぐ動けなくて焦ったよ・・・何があったの?」
「この辺で聞き込みをしてる奴がいたんだけど、俺の件じゃあなかった」
「そっか」
「でも、考えてみたら聞き込みが来たとたん逃げるっていうのも怪しいしな」
「そうだね・・」
話しながらテレビを見ると、なんというタイミングか、猟奇的犯罪を種にしたドキュメント風番組が流れている。
「・・・・・・・」
なんとなくひっかかる。
腕の中を覗き込むと、トムはクレイにもたれながらじっと画面を見ていた。
「トーム」
「ん?」
「今日のこととテレビと、関係してる?」
「どうかな・・・ここのところ、こういう番組は多いな」
「そうなんだ・・・」
考えてみるとここ最近、こんな時間に帰ったことはなかった。
いつの間にか、色々なものに拘束されていることに気がつく。
「一応、俺のことが流されないかは見ておくようにはしてる」
「・・・・・うん」
意味の無いことではない。
やめろ、とも言えなかった。
テレビは流れ続けている。
罪、と人は言うのかもしれない。ここに2人がこうしていることを。
トムに起こったことも、自分に起こったことも、説明がつかないことばかりだ。
そして、説明がつかない『事実』は、その存在すら否定され、からかいの種にされることすらある。
かつて妹と自分を取り囲んだあれこれを思い出し、一気に胸に渦巻くものを押さえかねて、クレイは歯をかみ締めた。
ちらりとトムに目をやると、何やら考え込んでいる。
「ね、何考えてる?」
トムの顔を見た瞬間、胸の中の不穏なうねりはきれいに消えた。
「んー、ポップコーン作ろうかどうかと・・・」
「と?」
「お前に悪いことしたな、と思ってた」
「僕に?」
驚いて目を見開くと、腕の中でトムがこちらを向いて手を伸ばしてくる。
そっと両手で頬を包まれた。
「鏡見てないだろ?すごい顔してるぞお前」
「知ってる」
午後のレストルームを思い出して苦笑した。
「お前に動くな、と言うくらいなら、連絡しなければ余計な心配かけなかったよな」
「よしてよ。トムがすぐに連絡をくれないかもなんて思ったら、毎日5分おきにメールするよ」
「そっか」
トムが目元をくしゃっとさせて笑い、そして目を伏せる。
唐突に、こみ上げてくるものがあった。衝動のままに離れかけたトムを引き寄せる。
「クレイ?」
「ごめん、ちょっと・・・」
そのまま床に引き倒した。
なにか言いかけた唇をふさぎ、もどかしく上着を脱ぎ捨てる。
トムは何も言わなかった。
トムが買っていたアイスクリームは溶けて流れてすごいことになり、
床で、しかもテーブルの近くでことに及んだために二人ともあちこち小さな傷を作った。
トムは小さく笑って許してくれたが、翌日会社に出勤してみると、クレイはすっかり
「恋人に電話で別れを告げられやけくそになった男」
ということになっていた。
「そりゃ、災難な噂だな」
トムが笑う。
「いいよ。どうもポーカーフェイスは苦手なことが分かったし、トムになにかあったら、動転して飛び出しやすい」
「飛び出しちゃだめだろうが」
「いいんだよ」
そこにいてくれれば、笑っていられる。
誰か一人の存在にこんなにも依存するなんて、想像もしなかった。
おしまい
ちょっと今回はお題にちゃんと取り組んだ気がする!