ムパラ25無配ペーパー その3
仕事上では、ディーンの方針や決断は基本的にローリスクを旨としている。仕事先に対して多少の融通やサービスはするが、想定の範囲を越えることはほとんどないし、個人的には興味を引かれる企画や新規事業の話があっても、高いリスクを犯してまで急ぎはしない。それでライバルに先を越されることもないわけではないが、不確定な話に乗った挙げ句の損害と比べれば小さいものだった。
その反動というわけではないのだが、プライベートでの投資では、ついつい投機性の高い、ハイリスクハイリターンなものを選ぶ傾向がある。リーマンショックで懲りているので、普段の生活に影響が出ない範囲に押さえてはいるのだが、それでもここ数ヶ月の利益が半日で吹っ飛んでしまったのは痛かった。最近付き合っている相手が、実に機械的な投資で着々と財産構築しているからさらにだ。別に競争しているわけではないのだが。
いかに明日は休みとはいえ、ふと時計を見ると結構な時間になっている。
(帰るか)
立ち上がるといきなり視界がぐらりと回った。
(いかん、飲みすぎた)
これも久々にやらかした失態だ。最近節制してアルコールを控えていたので、随分と燃費が良くなっていたらしい。これから帰って、部屋のドアを開けたらその場で倒れて寝ることは確実だ。シャワーも着替えも考えただけでうんざりする。
(だけど、ドアを開けて倒れたら鍵が閉められないから不用心だな)
ふとそう思いついたディーンは、乗り込んだタクシーに自宅とは違う住所を告げた。
「………どうしたの一体」
Tシャツに短パンという、明らかに『寝てました』という恰好のサムが、玄関で呆然と呟いた。
「それはな、いわゆる『来ちゃった』という奴だ」
ドア枠に凭れかかりながらディーンがふふんと言うと、サムはしょうがないなあ、と言いそうな顔で少し笑いながら、どうぞ、とディーンを中に招き入れる。
「何回誘っても、なかなか来てくれないのに珍しいね」
「飲みすぎたからだ」
胸を張って理由を告げると、サムはがっくりと肩を落とした。
「そのつながりが分かんないよ、部長さん」
それもそうだ。頷いてディーンは先ほどの懸念を再生する。
「このまま帰ると僕は玄関先でドアを開けたら倒れて寝る。鍵が開いたままで不用心だ。で、君の家なら僕が倒れても君が閉めるだろう」
「……確かにね」
分かりやすい説明はウェッソンにも通じたらしい。おいで、というように手を引かれる。予想にたがわず寝室に直行した。客間ではなく、何度か来たことがあるサムの使っている部屋だ。
「ほら、自分でできる?」
ベッドに座らされ、着替えを渡される。さすがにそれくらいはできるが、何となくただ寝るのも悪い気がして、
「するか?」
と訊いてみた。ウェッソンが見事に目を丸くする。何となくおかしくなって、
「夜中に押しかけたからな。今日なら何でもしてやるぞ」
見上げながら笑って言ってみた。普段、ねだられても断固断っているあれやこれやも、今改めて考えてみるとどうということもない気がするのでサービスデーだ。大盤振る舞いだ。ドンと来い。が、ウェッソンはそれに喜ぶでもなくため息をついた。
「もう、いいから寝るよ。酔っ払い」
「なんだ。しないのか」
せっかくの申し出を断られたが、別にしたいわけでもなかったのでディーンはさっさと着替えることにする。が、思ったより酔っているようで、指に力が入り辛く、ネクタイやボタンを外すのに手間取った。
「手伝おうか?」
ウェッソンが手を伸ばしてくるのは跳ねのける。
「しない奴は手を出すな」
つん、と言ってやると、うううと変な声を出して手を引いた。そのあと時間はかかったが何とか着替えを終え、やれやれとベッドにうつ伏せに倒れ込む。続いてサムも来るものかと思っていたが、数秒たってもベッドが揺れないので、どうしたと思って目を開けた。すると、さっきディーンが脱ぎ捨てたスーツを拾っている。
「いいぞ、そんなの置いといて」
声をかけるが聞こえないらしく、ご丁寧にハンガーにかける。その背を見ているとやっと作業を終わったのか振り向いて、
「まだ寝てなかったの」
と驚いたような顔で言った。お前がさっさと寝ないからだろう。そう思いながら見ていると、何だか変な顔をしながらやっとウェッソンがベッドに入ってきた。
「おやすみ」
キスをされて「よし」と納得して目を閉じる。さんざん待たされたので眠りに落ちるのは早かった。
何が最悪って、二日酔いの朝が一番だ。
さらに最悪なのは酔って失態を他人に晒した後の二日酔いの朝だ。
さらにさらに最悪なのは、失態の記憶が部分的に残っている二日酔いの朝だ。今日のディーンの場合は恋人相手にそれをやらかしたというスペシャルだ。
「大丈夫?水飲む?」
「ああ」
サムが差し出すボトルを受け取り、喉に流し込む。幸い吐き気はないものの頭がガンガンした。面子的に言えば、今すぐ礼を言って速やかに帰りたいところだが、残念なことに今歩いたら頭が割れそうだ。
「寝てなよ」
穏やかにそう言うウェッソンが、内心で何を思っているのか想像するのも恐ろしい。だが表面上にはそれを出さず、
「そうする」
とだけ答えてもう一度枕に頭を落とした。時を戻せるものなら、昨夜をリセットしたい、と念じるが、もちろん無かったことになるわけはないのだった。
結局ディーンが動けるようになったのは昼を過ぎてからだった。
「あ。復活したね」
シャワーを使った後、ローブをひっかけてクローゼットの服を漁っていると、買い物から帰ったサムが近づいてくる。腕が回ってくるとちゅ、と軽い音を立ててキスをされた。目の前の顔をまじまじと見ると、頬にえくぼが浮かんでもう一度キスが来る。
「お腹すいてる?」
「いや」
具合が悪いのが収まっただけで、食欲が出るほどではない。
そう言うとサムは「そう」と笑って、腰に回した腕を引き寄せてきた。
「?」
密着すれば、自然と相手の身体の状況はわかる。いきなりの熱と臨戦態勢を感じて、思わず身じろぎをした。
「おい?」
「昨日言ってた宿代、今もらってもいい?」
「なんだそりゃ。昨日断ったくせに」
少しムッとして言うと、何がおかしいんだかパアッと笑う。
「あ、良かった。覚えてるんだ」
「お前が断ったこともな」
酔いがさめた今ごろ言うな。とぐいぐい押し退けようとするが、でかい身体は退かない。
「だってしょうがないだろ。あんたベロベロだったじゃないか」
「最中に吐くとでも思ったのか」
睨むとまあそれもあるけど、と失礼なことを言う。
「でも、あんたがただの行きずりの美人とかならともかく、そうじゃないんだから、起きたら忘れられてるようなの嫌だよ」
「…」
分かるような分からないような気がしつつ、起き抜けの滅入りこんだ気分はだいぶ浮上してきた。
「わかった?」
「まあな」
正直言っていることは今一つだが、ウェッソンの表情やら体温やらで、呆れられたり拒否をされたわけではないというのはわかり、だからまあそれで良い。
「じゃあさ」
ウェッソンがにこりとえくぼを浮かべて笑った。ディーンが割と好きな顔だ。
「ベッドに行こう?」
その瞬間思ったことは、本当に言えた義理ではないのだが、
(そうするとあの部屋で丸一日過ごすことになるのか)
というものだった。
別段どうというわけでもないのだが、明るい昼間に、窓の開いた部屋でもつれあっているのは妙な気分だった。庭に面した窓から時々風を感じるのと庭木や空が目に入ってくるせいで、半分くらい外にいるような気になってくる。
「なんか、…積極的だね」
気が付くと上に乗り上げていたので、見下ろしつつ身体を動かすと、ウェッソンが目を閉じて小さく呻く。額に汗が浮かんで流れ落ちそうだったので笑って指で拭ってやった。
目を開けたウェッソンが「もう」だか「ああ」だか口の中でモゴモゴ言ったかと思うと、唐突に体勢をひっくり返された。覆いかぶさる肩の後ろの景色が、また空と樹に変わる。
(あ。鳥だ)
視界を横切った小さな影を目で追っていると、こっちを見ろと言うようにウェッソンが大きく深いところを突いてくるので、抗議の意をこめて髪を引っ張った。
「それでさ、何があったの結局」
余韻の気だるさで二人してベッドに転がりながら、そっとウェッソンが訊ねてくる。
「別に。どうでもいいようなことだ」
そう言ったのは本気半分、ザクザク儲けているトレーダーへのやっかみ半分だ。何故か後半の部分が良く伝わったらしく、大人しい態度をころりと変えたウェッソンは急にむっとした顔をして、
「言えよ」
と喉元に噛みついてくる。本人が思っているより強くてディーンは小さく叫び声を上げた。その後押し問答ともう一ラウンドの挙げ句に損失額を聞き出したウェッソンは、
「それっぽっちの失敗であんたやけになったの!?」
と実に正直な声をあげ、
「うるさい」
と額より勝負に重きをおく恋人に枕で殴られた。
END
ま、そんなわけで部長とバイトは今日もいちゃいちゃしておると。最初は雨に濡れてドアをノックして、「来ちゃった」と言って恋人の部屋に押し入った挙句「寒い…」とぶるぶるしてブランデー入りのホットミルクをもらうというゴールデンパターンにしようかと思ったんですが照れました。
今回せっかくアップするのでいじろうかと思いましたが、気温が36度もある中でホットミルクなど考えたくもないわ!!と脳内の誰かが暴れたのでそのままにしました。
部長の被害額は多分給料一か月分とか半月分とかそれくらいです。