ドアを開けたらエレンとジョーが立っていた。
反射的に閉じる。
が、ハンター母娘は予測済みだったようで、娘が咄嗟に足を突っ込んでくる。
自業自得とはいえ、ジョーの足の骨を折ったりした日には数少ない知り合いを失くすので、ディーンはしぶしぶもう一度ドアを開けた。
「なんで今来るんだよ・・・」
ディーンは地の底にめり込みそうな低い声で(主に彼女らの後ろから入って来たボビーに)抗議した。
「夫婦の問題はこれ以上俺の手には負えんのでな」
「・・・・! あの件について、エレン達に話す気はねえよ」
「彼女らは知ってたぞ」
ひっという音は本当に「ひっ」というのだ。ディーンは自分の喉から出る音を聞いて、妙に冷静に考えた。
冷静というより逃避かもしれない。
「やあ、エレン、ジョー、久しぶり」
「ハイ、サム。元気そうね」
「うん、まあね」
入り口でボビーに抗議しているうちに、サムが出て来てしまい、エレン達と挨拶を交わしている。
「エレン達は、解呪について何か知っているのか?」
ふと、思いついてひそひそ尋ねる。それで現場検証というか対象者を調べにやってきたとか。しかし、
「違うわよ」
さっさと椅子に腰掛けたジョーがあっさり否定した。
ちなみにサムはエレンに引っ張られてキッチンに行っている。
「呪い自体はシンプルだもの。本人が満足したら大体解ける。だから、貴方達『夫婦』に、というかサムが満足するのにどうしたらいいのか、それを見に来てくれってボビーに頼まれたの。」
「・・・あー、気持ちは嬉しいんだが・・」
「正直、俺もお前に相談されてもこれ以上打つ手がわからん」
俺には十二分に見えるんでな。
苦悶の表情でボビーに言われると、ディーンは何も言えなくなる。
今、二人は家具つきの小さな家を借りている。サムの夢見る生活のうち、妥協できそうなぎりぎりラインだ(農家は無理だし、犬もいないが)。
しばらく休もう、というのが名目で、サムの呪いが解けるまでは狩りはしないつもりだった。それを告げた時、サムは喜んでいたが、数日たった今でも一向に正気に返る様子はなかった。
「言っておくけど、私たちを気にしてサムにそっけなくしたら意味ないわよ」
ジョーが笑いたいのか、怒っているのか微妙な顔で続けた。
「おかしくなっちゃったサムに、いつものように対応して。でないと、何が足りないのかわからないから」
ごもっともなセリフに、ディーンとしては頷くしかない。
「どうしたのさディーン、深刻な顔して」
ひょい、とサムが後ろから抱き寄せてきたので、つい叩き落としそうになるのを堪えた。
振り返るとすぐ近くにつん、ととがった鼻がある。今にも頬が触れそうだ。 人前だと思うと改めて距離の近さを感じてしまう。
「いや、別に。お前こそエレンとなに話してたんだ?」
「んー、コーヒーいれるか昼食どうしようかって聞いてたんだけど、食事は済ませてきたんだってさ」
「そっか」
話しているそばからポットを持ったエレンが居間に入ってきた。
「最近サムが電話くれたから、狩りのことで相談しようと思って来たんだけど、休養中なんですって?」
「うん、悪いな」
答えつつ、頭痛に耐えた。サムの奴、エレンに電話して、そこから今のこいつの様子が変だって分かったわけだ。
つまり電話だけで気づかれるくらい、元を知ってる相手にとっては言動が変になってるってことか。
「どうした?ディーン」
頭痛の元が後ろから覗き込んでくる。
「なんでもない。ちょっと頭が痛いだけだ」
まだ昼だけどコーヒーじゃなくて酒にしようかな、と考えていたら、何を思ったのか額に手を当ててきた。
うーんと首をかしげて、次には額をくっつけてくる。視界の端でジョーが目を丸くするのが見えた。
そうだよな、俺はかなり頑張っているぞ。しかし自分でもわかっちゃいるが、改めて周囲の反応をみると結構きつい。
「熱はないよね」
「ねえよ」
ちょっとぶっきらぼうに答えると、サムは妙に穏やかな声で言った。
「僕がやるからディーンは座ってなよ。アスピリンいる?」
「いらねえ」
「わかった」
軽く額に唇をあててから、サムはキッチンへ戻っていく。
「エレン、カップの数足りる?」
「足りるけど、このペアのカップは使っていいのかしら」
「大丈夫だよ、僕らの持ち込みだから」
「あら、いいカップね」
背後からの視線が痛い。
ディーンはやっぱりアスピリンを取りに行くことにした。
数時間夫婦の新居での生活ぶりをご視察いただいて、外まで送りがてら視察員2名からのアドバイスを拝聴する。
「まあ、全体的にはなんでこれで満足しないのか不思議でしょうがないけど」
と、エレンが前置きをした。そうだよな、俺もそう思う、とディーンは頷く。
「あえて言うなら受身よね。サムがキスしてきたり引き寄せたりするのは拒否しないけど、自分からはしてないじゃない?」
例えば、こうサムがキスしてきたら、こう返す!
エレンは横にいたボビーを掴まえて、ちょっと実演して見せてくれた。
ああ、なるほどなあ、とディーンは納得する。そういえば、サムがキスをしてくることは当たり前になったけど、自分からしたことはない。
「あと、どうもサムの様子の変化を聞いてると、どんどん希望が増えてるんじゃないの?」
とジョーが言った。
「だって、呪いにかかった当初は夫婦と思い込んでいても、そんなに普段の言動と変わらなかったわけでしょ?それでいいなら満足して目を覚ますはずよ。ディーンがすっっごく努力してるのもよくわかったし。」
褒められてしみじみ情けない思いをすると言うのも珍しい体験かもしれない。
「でも、ディーンがサムのしてくることに応える頃には、サムの希望がが増えてるんじゃないかしら。もっともっと、って。サムって、どんどん要求が増えてくことってない?」
言われて死ぬほど思い当たる。
サムに子どもの頃、アイスが食べたいと言ってアイスを買ってやろうとすると、トッピングもつけたいといい、トッピングを乗せたアイスを食べ終わると、喉が渇いたからジュースが飲みたいといい、結局どこかで怒鳴って我慢させることが多かった。
アイスを買えるような財布状態のときはほとんどなく、サムもそんなときに我侭は言わなかったが、たまに財布にゆとりがあると、察するのかここぞとばかりにあれもこれもと要求がどんどん果てしなくなる。
なるほどなあ。
ディーンはまた妙に納得した。
出し惜しみせずに、財布の限り、店にある限りののトッピングを全部乗っけしてやれということか?
じりじりやってると、まだいけると思ってさらに広がると。
とにかく、もうお邪魔はしないから頑張れ。
視察団の皆に肩を叩いて激励され、ディーンはひきつった笑みを返すしかなかった。
その夜。
考え込みながら天井を睨んでいると、隣で寝転がって本を読んでいたサムが
「疲れた?」
と髪を撫でてきた。
「いや。お前は?」
長い指で髪を梳かれるのは気持ちがいい。ちょっと目を閉じそうになり、視察団のアドバイスを思い出して、自分からも相手に手を伸ばす。
ちら、と顔を向けると、サムが驚いたような顔をしているので笑ってしまった。
もっと、というようにディーンの手にサムが懐いてくる。
ゆっくりと癖のある髪を梳いてやっていると、幸せそうに笑ったサムが、ギュッとディーンを抱きしめた。
目尻にキスを落とされ、今日は自分からも返してやる。
ぴく、と反応するのがおかしくて、また笑ってしまう。驚いたかサミー。今日は兄ちゃん大盤振る舞いなんだぜ。
少しだけ離れたサムが、静かに顔を近づけてくる。
鼻と鼻が触れ、ディーンは笑って、少し顔を傾けてやった。
吐息が触れる。
触れるだけで一度離れ、二度目はもう少し深いキスを交わした。
「いいの?」
聞いてくる瞳に笑い返してやる。
だってこのまんまほっといたら、お前は他のハンターにもきっと接触して、お前の思い込みを吹聴しちまうじゃないか。
ボビーやエレン達はまだいい。お前が正気に返った後も、蒸し返さずにそっとしておいてくれるだろう。
だけど他の連中はそうはいかない。ただでさえ狭いハンターの世界で、お前を笑いものにはさせない。
欲しいだけ持ってってみろ、我慢強いくせに欲張りな俺の弟。
覆いかぶさる固い背中に手を回し、ディーンはもう一度笑ってやった。
終わり
あらあらあら、まあまあまあ。こんなところで切っちゃいます。ほほほほほ。