ホールの中はシャンデリアの煌めきと客たちのざわめきに満ちていた。
「新年会以来だが元気そうだね」
「ありがとうございます」
サムと握手を交わしていた来賓に愛想よく話しかけられて、ディーンはひきつりそうになるのをこらえて挨拶を返す。今日だけで何回目だかもう数える気もとうに無くなっていた。
通常こんな場で、社長の後ろに控える秘書にまでわざわざ愛想を巻く客などいない。
通常は。
だが、ウィンチェスター商会の二代目社長が、30を越えたガタイのいい男秘書にプロポーズを繰り返していることは、穴に落ちて以来常識と羞恥心を脳みそから落としてしまったらしい本人が言いふらし続けているおかげで、すっかり社内外に知れ渡ってしまっている。
この会場にいる何人が、サムと自分のことを勘ぐっているのだろうと思うと、今すぐイヤホンをむしりとって帰りたい気分になる。
しかし、仕事場では仕事に徹すると常々主張している以上投げ出すわけにもいかず、胸中のモヤモヤを抱えつつ、ディーンはサムの後ろに従っていた。
「とにかく離れるな。傍についてろ。警備とはキャスが連絡を取るし、他は俺が見る」
肩書は第二秘書だが、完全に取りまとめ役のボビーにそう言われ、今日のディーンはひたすら社長であるサムの世話焼きに徹していた。そのかいあってか、超合金製のロボットのようだと揶揄されるディーンの上司は、幸いにも今のところ取引先や顧客との友好的関係を破壊することなくパーティをこなしている。
「代われるもんなら代わるが、俺がついても奴の噴火も暴走も止まらんからな」
ボビーがしみじみとぼやくのを聞いて、仮にもボスを奴呼ばわりするのはさすがにどうなんだろうと、ディーンは多少気になったが、当の自分が本人に向かって「馬鹿」だの「アホ」だの「ポンコツロボ」だのと連発しているので、人のことは全く言えなかった。
空調は動いているのだが、人が多いせいかホールを行き来していると、うっすらと汗ばんでくる。
ディーンは周囲のゲストの様子に素早く視線を走らせ、やはり暑そうにしているいる客が多いのを見て取ると、インカムでボビーに調整を依頼した。
「飲み物は?」
不意に声がして視線を向けると、サムがこちらを見ている。
「は?」
とっさに何を言われたのかわからず聞き返した。
「飲み物は、と言った」
「…何か取ってきますか?」
ボスの手のグラスがまだあるので疑問に思いつつ確認すると、サムの眉間に皺が寄った。
「あんたにだ」
見るとトレイを持ったボーイが緊張した顔つきでロボサムの隣に捕まっている。
「結構です」
ゲストでもない秘書がドリンクなんぞもらってどうする。だがボスは気にくわないらしい。
「暑そうな顔で横にいられると鬱陶しい」
「…では水を」
ディーンが頷くと、引き留められていた若いボーイはホッとしたように奥に引っ込み、素早く水割り用のグラスに氷と水を入れて戻ってきた。
グラスを受けとると一息に飲み干し、トレイに戻す。物言いたげな社長に、
「ありがとうございます」
と澄まして返した。喋って飲み食いするのが仕事の参加者と違って、現場スタッフは両手を空けておきたいのだ。
「飲まないのかね?」
張りのある声がしてディーンは振り返る。取締役会の古狸、サミュエル・キャンベルが鷹揚な笑みを浮かべて立っていた。
「少し空調が弱いようだな」
「申し訳ありません。担当には先ほど連絡しましたので、じき効いてくるかと」
古狸たちはもちろん身内だが、細かいチェックを積み重ねて後々どんないちゃもんをつけてくるかわからない。だが光沢のあるグレーのスーツを身に着けたサミュエルは可笑しそうに笑った。
「いや、別段チェックをしているわけではないから気にするな。君が暑そうだったから訊いてみた」
「…はあ」
「ほら」
と言いつつ新しいドリンクのグラスを差し出される。
「いえ、私は業務が」
ひきつり笑いをしつつ謝辞しようとするが、
「さっさと取れ」
と後ろからサムがイライラしたような声で言う。
なぜこんなところで前後から重役どもにそろって飲み物を強要されないとならんのだ。見るとサミュエルの後ろにいるのはまたさっきのボーイで、何とも気の毒そうな目と視線が合ってしまった。
「…ではいただきます」
これはもはや受け取ってしまった方が話が早い。周囲の様子を見るとチラチラと視線をこちらに向けている客も多い。社長の周囲でのことなのだから不思議ではないが、ため息をつきたくなるのをディーンはこらえてにっこりと笑ってみせた。
ディーンの今の立ち位置のあやふやさに、周囲が接し方に迷っている心境もわかる。部下だが身内になるかもしれない人間なのだから。
いっそサムの求婚を受けてしまえばシンプルなのかもしれないが、
(待て待て)
ディーンは自分の思考にストップをかける。
この発想はおかしい。そもそも仮にとち狂ってそういうことになったとしても、避雷針の必要が有る限りは、ディーンはやはり部下の立場でサムの傍につくことになるのだから、周囲の困惑は変わらない。
なんのかんの言いつつ、自分がこの馬鹿と付き合っていることは確かだ。だが結婚となると話は違う。サムがどうとかではなくディーンの感覚としてあり得んと思ってしまう。いさぎよくないと言わばいえ。
そして自分がこうしてのらりくらりとしているうちに、どこからかサムの上昇志向をくすぐる縁談でも来たらそれはそれだと思ったりしているのだが、ロボサムの破壊光線を恐れてか、ディーンのアンテナ触れないように隠蔽されているのか、業績のよい会社の若い独身社長だというのに、そうした縁談めいた話は欠片も聞こえてくることはなかった。
続く
というわけで相変わらずのらくらしてる秘書と求婚し続けてる社長さん
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