アスファルトがゆらゆらと熱を放射する。
信号待ちの車は先ほどからジリジリとしか進まない。
あと1台、というところで信号がまたも赤に変わり、職場に戻る車内で、クレイはうんざりとブレーキを踏んだ。
平日でも街のメインストリートには人出が多い。左手にあるのは公共の図書館で、そこから出てくる人波を、何となく眺める。
入り口を出てきた学生風の男が、本を抱えたままアイスクリームの屋台に直行しているのを見て、思わずクレイは笑った。男はそのまま道端でアイスを舐めている。
眼鏡をかけた顔を遠目に見て・・・・
「トム!?」
見直しかけたところで信号が変わり、クレイは慌てながら車を発進させた。
「ねえトム!今日の午後、図書館に行かなかった?」
帰宅早々、クレイはリビングにいるトムをのぞきこんだ。
ソファで雑誌を読んでいたトムが驚いた顔をして振り向く。
「行った・・・よくわかったな。変装してたのに」
「変装?」
してたっけ。
「学生の振りしていけば目立たないかと思ったんだが」
思い浮かべると、確かに最初に目に付いた時はトムとは思わなかった。
・・・だが目立っていた。思い切り。ものすごく。
「うん、確かに最初は学生かなーと思ったんだ。でも、アイスの屋台に行く姿が気になってさ、見てたらトムだったからびっくりした」
「学生ってアイス食わない・・・か?」
「そんなことはないだろうけど」
そうだよなあ?トムは机の引き出しからチタンフレームの眼鏡を取り出してかけて見せた。
瞬間、クレイは笑ってしまう。
「似合う」
「ん?」
「すごく似合ってて---------目立つよ」
「なんだそれ!」
目立つんじゃだめだな・・・・ため息をつくトムはひどくがっかりした様子で、クレイは少し慌てた。
「ところでさ、どうしたの急に図書館なんて」
トムとクレイが出会ったのは酒場だった。
一緒に行動するようになり、しばらくたつが、トムはそれほど本を読むタイプではなかったように思う。
そして人目につくことを極端に恐れていた。
そのトムが、どうしたのだろう?
「いや・・・お前とこの間、ケーキ喰いたいって話してただろ」
「うん?」
また話が飛んで、クレイは目を瞬く。
「なんだか暇だったから作ってみようと思ったんだけど、ネットのレシピだと画像がよくわからなくてさ。図書館なら写真つきの本とか多いかと思って」
で、眼鏡で変装して出かけたらしい。
先ほどの怜悧な印象の男が、図書館でケーキの本をじっと読んでいる姿を想像すると、恐ろしく目立っただろうことが想像できて、またクレイは笑いそうになった。
が、こらえる。
「作ってくれたの?」
聞くとうん、と頷く。
モーテルを渡り歩く生活から、一箇所に落ち着いてみると、意外なことにトムは料理作りが好きなようだった。
菓子の方がさらに作りやすいらしい。
一度作っているところを見たら、料理というより実験でもしている感じだったが。
「見せてよ」
ワクワクしてきて頼むと、トムがふふんと笑う。
「デザートだから食事の後だ」
立ち上がってキッチンに向かう姿を見送りながら、クレイはそういえば帰ってきてまだ上着も脱いでいなかったことに気づき、苦笑した。
トムは追われることに過敏で、
自分はトムの行動に過敏だ。
二人とも傷と闇を抱えていて、だけど二人でいると不思議に心が凪いだ。
夕食の後、変装調査の成果のケーキをつつく。
「真ん中にベリー集めるとこういう問題があるのか・・・」
「すっごく綺麗だけど、どう切ったらいいのかわかんないよ。せっかくトムがきれいに作ったのに、僕が崩したら・・」
「気にするな。喰うのお前なんだから」
デザイン重視のデコレートをトムがしたおかげで、カット役をおおせつかったクレイは、さっきからナイフを入れるポイントを探してグルグルと皿を回している。
今日のトムの料理担当モードはケーキをお披露目したところで終了したらしく、テーブルに肘をついてすっかり傍観者だ。
「いいな」
ぽつり、とケーキを回しながらクレイが呟く。
「何が?」
「平和な悩みだ。こういうの」
妹が行方不明になった後、彼女を(あるいはその死の証拠を)探すことがクレイの人生の中心になった。
妹を連れて湖を去った後は、怒りとも恐怖ともつかない感情に追われ、転々と暮らすしかできなかった。
「そうだな。今日俺はスポンジが膨れるかとか、お前がベリーが好きかわからないとか、そんなことばっかり考えてた・・・平和な悩みだよな」
「もっとやらない?」
「?」
「明日は休みだけど、何して過ごそうか、とかさ」
トムが少し眉を上げて考えるそぶりを見せた。
「…朝食何にしようかとか?」
「え?シリアル以外?」
「いや、シリアルでもいいけどさ。グラノーラを試すとか」
「シリアル以外何があるの」
クレイの家では母の具合が悪かったこともあり、自宅での朝食=シリアルの公式が染み付いている。
今度はトムがびっくりした顔をする。
「色々あるだろ。ポタージュとか半熟卵とかスクランブルエッグとかフルーツサラダとか!」
「なんでそんなん思い付くのトム!?もしかして、実家ってそんな朝食?」
さすが炭鉱社長の家はこんなところで違うのか。驚きのあまりベリーをクリームに埋没させながら切ってしまった。
「いや、違う…と思うけど。なんかTVで見たら旨そうだった。病院だってシリアル以外のもの出るし」
繊細なケーキを壊滅させてしまったクレイは結構なショックを受けたが、ぼそぼそ言っているトムは頓着していない。
「あ、あとこの壁塗り替えるとしたら何色がいいかとかさ」
ペンキ塗りのほうがクレイは得意分野だ。どうせなら休日にいいところを見せたい。
「その前にテーブルの脚を直さないとやばいと思う」
トムがくすくす笑ってコーヒーカップを持ってきた。ひしゃげたケーキは本当に気にならないらしく、さっさと皿に取り分けている。
「洗濯機をリサイクルショップに探しに行かない?」
「…あー、やり過ぎるとお前ますます誤解されるぞ」
とたんにトムが眉をしかめた。
「何が」
「お前と俺がどんな関係だって」
思わずクレイは吹きだす。
「身体で払うとか言っといて、なに気にしてるの?」
「お前と寝たからって、俺は他人に言ったりしないぞ」
長い逃亡生活の中、端正なその容姿はトムにとって仇になることも多かったらしい。
トムは簡単に身体を差し出そうとするが、クレイは宿代のようにはそれを受け取りたくなかった。
「僕は君のことが好きだって言ったよね」
「・・・覚えてる」
テーブルの上の手に、そっと手を重ねた。乾いた、無骨な手だ。だけど世界でこれしか欲しくない、ただ一人の手だ。
どうしたら僕のものになるのだろう。重ねた手にそっと力をこめる。
「俺は好き、というより」
重ねた手はそのままにトムが口を開いた。
「お前しかいないんだ」
え、とクレイが目を見開く。
「俺は自分がやったことと、今もやってしまうことで誰にも関われない。お前以外。だから、お前といられるならなんだっていいんだ」
ゆっくりと手のひらが動き、乾いた指がクレイの手に触れてくる。持ち主の意思を伝えて。
「お前となら寝たっていいし、でも、別にそれを他の奴らに知らせたいとは思わない。むしろ一緒にいる邪魔になるなら知られない方がいい」
「・・・・今夜、君の部屋に行っていい?」
一歩を踏み出す。重ならないものを感じながら、それでも差し出されている手を取らずにいるのは怖かった。
頷いて微笑むその顔が、欲よりも安堵を浮かべているのが苦しい。
君のものになるから
僕のものになって。
*************
はい、ざんげします。
お題を上げてるにも関わらず、コンプリートしまへんでした。
途中でクレイがトムに「今、なにしてる?」って電話するシーンがあったんだけどね、書いたんだけどね、なんか削った方が良かったのでカットしちゃった。てへ。