少し遅めに帰宅してみると、部屋は無人だった。リビングは暗く、ダイニング、バスルーム、寝室と見て回っても人の気配はない。
(どういうことだ)
上司に付き合わされたアルコールなど瞬時に霧散し、クレイはトムにあてがっていた部屋の中を見回す。元々はゲストルームだったその部屋は、だが文字通り必要最低限のものしか置いていない。ベッドは簡単にシーツがかけられているし、取り付けのクローゼットの中の数枚の服もそのままだ。だが上着がない。
どうもこうも、単純な事態だ。
トムは着の身着のまま、自分の意志で出ていった。
それは全くもってあり得る事態なのだが、クレイには腑に落ちなかった。
何故今さら。
最初クレイの興味を引いた殺人鬼の人格は、ここのところめっきり現れていない。ハリーの現れないときのトムは、文字通り植物のように静かに奥の部屋で過ごしていた。廃ビルで半ば放置されていた時のように飢えることもなく、一人で外と遮断されて過ごすことにも『慣れている』と平気そうだった。
ただ一つ、最近あった変化に思い当り、クレイは顔を歪める。
ここ数日、クレイはトムの部屋で夜を過ごしていた。いわゆるそういう意味でだ。
以前のような発散手段として扱ってはいないし、トムの身体も明らかに慣れてきていた。
それがこの事態につながったというのか。
どうする。
トムは携帯電話も持っていない。もとより逃亡生活を送っていたのだから捜索願など論外だ。イライラしながらリビングに戻り、今後の行動をどうするか頭を巡らしかけたところで、ドアの開く音がした。
・・・・
部屋に入ったとたんに、それこそ悪鬼のような形相のクレイが立っていて、トムは仰天した。
「……なんだ?」
「こっちの台詞だ。帰ってきたらいないし、延々と帰ってこない。どこで何してた」
結構遅い時間だというのに、クレイはまだスーツのままだ。
「ちょっと飲みに」
言うとその目がまたギッとつり上がる。
「飲みに!?」
「ああ」
久しぶりに見る殺気を帯びたクレイに、トムはじりじりと逃げる体勢に入る。トムの身体を乗っ取っては凄惨な殺人を繰り返すハリーは、クレイに繰り返し叩き潰される内に最近はすっかり出てこない。連続殺人犯まで敬遠する攻撃モードに入ったクレイの相手など、トムは絶対ごめんだった。
と、クレイが小さく息を吐き、張り詰めた空気が緩む。
「わけわかんないなあんたは。部屋に籠りっぱなしで飽きないとか言ってたくせに、いきなり飲みに?」
「…お前の言う『同居人』は、外出はしないのか」
久しぶりにアルコールが欲しくなったので出かけた。近所で顔を覚えられるのは避けたかったので、暗くなってから少し離れた酒場に徒歩で行った。それだけなのだが。
「メモくらい置いて行けばいいだろ」
そう言われてトムは瞬きをする。
「…ああ、いや、お前がそんなこと気にすると思わなくて」
「はあ!?」
途端に胸倉をつかまれて引っ張られる。逃げ損ねたトムは慌てた。
「何日も顔見ないなんてざらだろ!」
廃ビルにいたときも、この家に来てからも、クレイはクレイの生活をしていて、文字通り顔を見ない日が続くことも珍しくなかった。
殴られるのを避けて体を丸めようとする。と、クレイがはーっとため息をついた後、顔をしかめて言った。
「何もないと、あんたが出かけただけなのか出ていったのかわからないだろ」
忌々しそうな顔をされて、トムは戸惑う。
「…出ていくとこなんてない」
そう言うとクレイはふと視線を緩めた。
「…わかってる」
わかってるなら何故怒る。そう言いたかったが、口に出したら今度こそクレイが暴れだしそうだったのでトムは口をつぐんだ。
・・・・・
だいぶ夜が冷えるようになっていたので、トムは少し長めに風呂を使った。シャワーで泡を洗い流しつつ、ふと体のあちこちに残った痕が目に入る。見た瞬間にその時の感覚まで蘇ったような気がして、トムは思わずそれを洗い流すようにシャワーを当てた。
たまたまだ。
たまたまここ数日、クレイの気が向いただけだ。
同じような時間にクレイはトムの部屋に来て、トムに触れた。
日を重ねるにつれて次第に自分の反応がおかしくなっているのは分かっていたが、クレイは怒らなかった。むしろトムが変になるほどその手は優しく、より丁寧になる。
だから妙な心境になるのだ。
あの廃ビルで、食料を待ってるのはいい。
今日、帰宅が遅いなと思い、自分がクレイが触れに来るのを待っているのだと気付いた時にはかなり気色が悪かった。
だからアルコールが欲しくなり、この顛末につながる。
「なにぼーっとしてんの」
風呂から上がってぼんやりしていると後ろから声がして、トムは体を跳ねさせて振り向く。同じく風呂上りらしいクレイが、まだ濡れた髪のまま立っていた。
「…また来たのか」
「僕の家だし。文句ある?」
「いや」
言いながら抱き寄せられる。軽く唇を吸われて、小さい震えが身体を走った。傍目にみたら震える30男なんぞ、かなりお寒い光景だろう。
「何笑ってんの」
「いや」
気持ち悪いだろう、と訊けば、気持ち悪いね、とクレイは答えるだろう。分かっていることをわざわざ口に出す必要もない。その気持ちの悪いものに触れたがる、クレイが変な奴なのは初めて会った時から同じだ。
首筋に唇が移ってくう、と喉が鳴った。クレイが低く笑ったのが伝わる振動でわかる。
みっともなくていい。嘲笑われても別に構わない。こうして気が向いたときに優しく触れてくるクレイの手は好きだった。
広くもない部屋で、二三歩下がればベッドに突き当たる。倒れ込みながらのしかかる身体の重みに、トムは安堵に気づかれたくなくて小さく息を吐いた。
というわけで、オフ本の余韻であっという間に18もーどに。
ほーらラブラブに近づいた。た?キャラ変わってたら申し訳ない…