「おまえ、俺としたい?」
夕飯の席で突然「おまえ魚好き?」と訊くくらいの軽さでトムが突拍子もないことを言い出したのでクレイは危うく食べかけのタイカレーを噴きかけた。
だが裕福ではないけれど、きちんとしたしつけを受けてきたクレイは見事耐え忍び、結果カレーが鼻に回ってさらに無言で悶絶する。
「なななななななんなのさ一体」
ごくりと水を飲み干して、クレイはテーブルの向かいを見た。
爆弾発言をかました張本人は、悶絶するクレイを目の前においてもくもくとカレーを食べている。きれいな所作で食べ終わると、スプーンを置いて言った。
「いや、俺っておまえ働かせておいて家にいっぱなしだなあって思って。」
「それはしょうがないじゃないか、事情があるんだし」
「俺はな。でも、おまえにしたら不公平だろ。」
「僕がそう感じてないんだからいいんじゃない?食事作ってくれてるじゃないか」
「でも俺も食べるし、基本俺が食べたいもん作ってるし」
「別にいいよ。・・・美味しいし」
「・・・あんまりいい人っぽく無理してると、ストレスたまって続かないっていうぞ」
ここに至ってぴんと来た。
「トム。誰になに言われたの」
「--誰だっていいだろ」
言わなくたって、本人の言うとおりほとんど家にこもっているトムが接触する相手は限られている。
クレイは明日にでも厳重に抗議してやろうと心のメモ帳に記入した。
「で、そういえば旅の途中でも、たまに関わった奴に身体で払えなんて言われることがあったなーって思い出してさ。身体なら確かに今の俺でもできるし、一応訊いてみようと思って」
ちょっと待て。今聞き逃せない文章が。
「身体で払えなんていう奴がいたの・・・・?」
今すぐとっつかまえてボコボコにぶん殴りたい。
「いたぞ?時々。俺もうっかりしてて全然思いださなかったから今更でなんなんだけど」
「せっかく忘れていたのに、そんなことを思い出してしまったんだね・・・」
過去は手が届かないが、とりあえず今日トムにこんな妙なことを吹き込んだ奴は速攻で締め上げることを心に誓う。
「いや、大体迫られた後ハリーが出てきてたみたいで細かく覚えてなかったんだ」
「僕が危ないじゃないかそれ」
下手すれば命がかかってくる。
「大丈夫だって。相手が女で別に嫌じゃなかったときは出なかったし。俺は今別にいやじゃない」
だから、お前さえよければさ。
クレイは思わず眩暈を感じて額を抑えた。「天然」?きっとこれが噂に聞く「天然」というタイプなんだ。
こんな「支払い」をさせることはできない。でも。
「トム。この際はっきり言っておくけど、僕は君のことが好きなんだ。その、恋愛対象として」
「そうか。じゃ、するか?」
トムがいそいそ立って皿を片付け始める。
「そうじゃなくて!いずれそうしたいけど、その前にちゃんと恋人になりたいんだってば」
「してから恋人になるって手もあるぞ」
「なんでそんなにすぐしたがるの!?」
流しに行ったトムをコップを持って追いかける。トムはちらりとこちらを振り返るが、そのまま戻らずに皿を洗い始めた。
「俺は甘えすぎるんだ」
「---は?」
「気がつかないうちに他人に甘えすぎるんだ。父親が社長だったせいもあるのかもしれないけど。
してもらってる自覚もないから、だんだん周囲が疲れて、親切で優しい奴が俺に腹を立て始める。・・・お前とはそうなりたくない」
俯いて流しに向かっているトムの表情は見えない。
「大丈夫だよ、トム。ぼくは・・・今、当分甘えてて欲しい気分なんだ」
「なんだそれ?」
困った顔でトムが振り向く。端正な顔立ちなのに、そうしていると妙に子供っぽい。そんな表情も実は好きだった。
「僕は君が好きで。君が同じ家にいてくれるのが嬉しい。トムが僕に甘えて、甘えることが当たり前になって、僕とずっと一緒にいたいと思ってくれればいいと思ってる」
これはちょっとした賭けだった。結構思いつめてる自覚はあるので、トムが引いてしまわないといいと思いながら近づく。
「だから安心して甘えて?」
笑いかけるが、トムはますます困った顔をする。
「トム?」
「俺ほんとに自覚がないから・・・・何が甘えなのかもわかんないんだ。甘えるってどうすればいい?」
ぶ。
思わず噴いた。
「笑うな」
トムがまた流しに向いてしまった。
ガシャガシャと洗い上げた皿や鍋をカゴに上げ始める。
「とにかく一緒にいてよ。何があっても、誰がなんと言っても、黙っていなくならないで。この家で、僕を待ってて」
割れないうちにどんどん積みあがるそれらを拭いていく。
「・・・それなら簡単だ」
ぼそり、とトムが言い、
「うん」
とクレイがうなずく。
二人が交わした、最初の約束だった。