モーテルの部屋は緊張感に包まれていた。
「どうなるんだこういう場合」
「わからん。前例なんかもちろんないからな」
ディーンとボビーが揃って頭を抱えているのには訳がある。狩りの最中にサムが呪いのアイテムに触れてしまい、妙なことを思い込んでいるのだ。
「夫婦?」
「らしいな」
「誰が?」
「お前とサムが」
「…」
魂がないくせにいっちょまえに呪いにだけはかかるとは何事だ。真実の女神の呪文も跳ね除けた耐久性はどこへ行った。
「解呪のアイテムはこれで合ってるんだよな」
「ああ。この間ルーファスのバカに使ったのをそのまま持ってきたからな」
ボビーの古馴染みの偏屈ハンターは、自分をミュージカルスターだと思い込んであちこちで踊ったらしい。そっちの方が楽しそうだ。
「呪いにはかかるくせに、解呪のアイテムは効かないってなどういう了見なんだ」
「さあなあ」
困ったときだけ呼び出す天使もさっき呼んでみたが、例によって「わからない。すまない」と「私にはできない」しか言わなかった。
相変わらず使えねえなあとけなしつつ、せっかく内戦中に抜けてきてくれたので、せめてビールでも飲むかと言いかけたところで、副官だという天使が「うちの上官を気軽に使うんじゃないわよ」と、ブリブリしながら迎えに来たので、滞在時間一分半で天使は帰った。
「さっきから何をぎゃあぎゃあ言ってるのさディーン」
実はずっと横にいたサムがここに至って口を挟んでくる。
「てめーが魂ないくせに呪いにかかってめんどくせえって話だ、このポンコツロボット」
「おい」
カリカリしたディーンが言うと、ボビーがちょっと焦った顔をする。呪いの思い込みを否定すると反動もあるのだ。
「ああ、それか」
だが、サムは平気な顔でひょい、と肩をすくめた。
やっぱり魂無しだと色々と違うらしい。
「それって、お前自分でわかってんのかよ」
言っておいてなんだがディーンが驚くと、サムは魂を無くしてから特有の、嫌な感じの薄笑いを浮かべて言った。
「確かに、どんな過程でディーンと結婚することになったかはスッパリ忘れちゃったよ。でも結論部分は覚えてるんだからいいだろ」
がっくりした。全然よくない。
「馬鹿かテメーは!結婚してるって部分がそもそも違うんだ」
魂ありの弟相手だったら絶対しないが、何をしても堪えなさそうなロボ相手だとついつい口が滑る。
と、能面のような表情はそのままにその場でサムが倒れた。
「わーっ!サム!!」
さすがにディーンは慌てて抱き起こす。
「…反動はあるのか…」
同じようなことを考えていたらしいボビーが救急車を呼ぶべくセルフォンを取り出しながら呟いた。口元に手を当てるが呼吸が無くてディーンは青くなる。
「サム!おいサム!」
覗きこむとふいにパチリと目を開ける。その目の中に、一瞬紅蓮の炎を見た気がして、ディーンは再び血の気が引いた。あのいやーな色は何となく覚えがある。三年前に地上に戻るまでの四十年間ディーン自身がこんがり焼かれた地獄の火だ。
と、ごほっと咳き込みながらサムが身を起こす。
「驚かせないでよ…」
いや、驚くとかそういう次元の話じゃないから。
「どうしたんだ今」
口のきけないディーンに代わってボビーが尋ねる。
「何か、インディジョーンズ2みたいだったよ。炎の噴出す穴に向かって一週間くらいバンジージャンプし続ける幻覚を見た」
「…」
絶対、それは幻覚じゃない。解呪が効かないくせに反動だけはあるのか。ボビーは帰り支度を始め、ディーンはため息をついた。
さて、それからが大変だ。
「ボビー!なんか他の手は見つかんないか?」
ディーンはサムが買い物に行っている隙に相談電話を掛ける。
『天使にもわからんことを俺に聞くな』
うんざりした声が返ってくるが怯んではいられない。
「じゃあ夫婦間のトラブルの専門家しらねえか?」
『なんだそりゃ』
ことは深刻なのだ。
・・・
《訴えの詳細》
「悪いけど、この人僕の配偶者だから」
カウンターでいい感じになっていたブルネットの美女は、怪訝な顔をしてディーンを見るが、反論がないのを見るとふん、と席を立っていってしまう。
「…てめえ、邪魔するのは何回めだ」
「そっちこそ懲りないね」
「俺はお前がナンパすんのを止めないろうが」
「それはディーンの勝手だろ。止めてほしいの?」
「誰が!」
「じゃあいいだろ」
「だから俺のことに口出しすんなってんだよ」
「それはダメ。僕と結婚したんだから諦めなよ」
見事なまでの堂々巡りだ。配偶者だろうがこれは不当な拘束だ。
・・・
『…ならお前もナンパを禁止してやったらどうだ』
事情を聞いたボビーの助言がちょっと投げやりでも仕方ない。
「したさ!」
ディーンは叫ぶ。
『サムは堪えなかったのか』
「なら仕方ないとか言いやがって、俺に乗って来ようとしやがった」
『…』
ボビーは沈黙する。
「なあボビー、あの馬鹿どうしたらいいと思う」
『救急車呼んどいてやるから、もう一回思い込みを否定してみたらどうだ?』
「…」
今度はディーンが沈黙する。
結局ディーンは当分の間ナンパを諦めた。もともとリサと別れて日が浅いこともあり、女性と仲良く話してもそれ以上の関係は最近無かったのだ。狭量な夫のせいで生活のささやかな潤いが失われた。
だがやはりと言うかなんと言うか、話はそこでは終わらなかった。
「なんか、夫婦っぽいことしてないよね」
「いらねえだろ」
唐突にサムが呟くのを、速攻つぶす。可愛いサミーならここでしょぼんとするところだが、魂と一緒に可愛げも欠けてしまったらしいロボは全然気にしない。
「もう少し夫婦らしく過ごそう」
「いらねっつの。大体一緒の部屋にいるだけでいかにも倦怠期の夫婦だろうがよ」
普段は同室故にカップルと誤解されて憤慨するのだが、この際ちょうどいいので使う。だがしかし次の発言にディーンは衝撃を受けた。
「一緒の部屋にいるだけなら、ただの兄弟だったときと一緒だろ」
「・・・お前、兄弟だってことを覚えてるのか」
「何言ってんの。ディーンこそ頭大丈夫か」
「・・・それで、夫婦ってお前どういう」
「だからその理由は忘れたんだってば」
魂がないというのは不思議な作用をする。普通は兄弟の部分が消えて夫婦と思い込みそうなものだが、今までの記憶の上に単純に思い込みが上書きされているらしい。
「だから、兄弟のままならしない、夫婦らしいことをしよう」
「・・・・いや、そうむきになるなよ」
「しよう」
「・・・・なあサム。いっそ離婚してただの兄弟に戻らないか」
言った途端にまたサムが昏倒して、ディーンは青くなった。
「・・・・・・で?」
久しぶりに来たボビーは速攻で帰りたそうな顔をしている。
「なにか、無害でいかにも夫婦らしいことってないか?」
何となくやつれたディーンの顔は真剣だ。
「サムは何をしようと言ってきてるんだ」
「・・・・」
「いや、いい。言うな」
夢見が悪くなりそうなので手を振る。そしてしばし真剣に考えた。
「俺と女房の場合だが・・・」
「うん!」
ディーンが身を乗り出す。ちなみにサムは後ろにちゃんといる。
「ダーリンとハニーと呼び合っていたが」
「僕はそれでもいいよ」
「・・・悪かったボビー。無茶なこと聞いて」
ディーンは苦渋に満ちた顔をして、ドボドボとボビーのグラスに酒を注いだ。
結局、折衷案として風呂に一緒に入ることにして最悪の事態は避けられたが、十日も経つと飽きたらしいサムが更なる改善を要求して、ディーン(と経過を聞かされるボビー)の懊悩はつきなかったそうな。
収拾をつけず終わる。