ディーンの勤務先は個人経営にしては規模の大きい整備店で、整備スタッフのディーンは基本的に工場にいて接客はしない。もちろん担当した車のオーナーには故障部分や整備の説明などはすると聞いていたが。
なのでクライアントの所に出掛けたサムが、ついでというにはちょっと無理のある大回りをしてディーンの店に寄った午後の時間に、受付カウンターには当然ながら接客のスタッフがいるだけだった。
この町にあるロースクールに通っていた頃はちょくちょくディーンを訪ねて来ていたので、中の構造は大体覚えている。工場の方へ行く通路もわかるのだが、さすがに顔パスだった状態から数年たつと店内に知った顔もいない。
周囲を見回すサムを客と勘違いしたであろうスタッフが、にっこりと笑いかけてくる。案内なしに奥に入って行くのも憚られるし、仰々しくなるが呼び出すしかないか。そう思いつつ受付に向かいかけるが、運良く見覚えのある整備士が通りかかる。サムはとっさにその年配の男の名前を記憶の倉庫から引っ張り出した。
◇
「おい、客だぞ」
同僚から声をかけられたディーンは怪訝な顔をして覗きこんでいたエンジンから顔を上げた。今日は客の予定はない。とっさに浮かんだのは整備した車に何かトラブルでもあったのかということだ。
「誰だ?」
手袋をはずしながら尋ねる。
「お前んとこの、あのでかい坊主」
言われて工場の入り口に目を向けると、スーツ姿のサムが所在なげに立っている。
「うわ」
驚きが思わず声になってしまったが、幸いにも年配の同僚は聞き咎めなかった。
「あれだろ、弁護士の勉強してた…」
「ああ」
「またでかくなったなあ」
近所の子供のことを言うような口調に笑いそうになる。体も態度もでかくなった弁護士先生に対しては最近ついぞ聞かない表現だ。
いい年の同僚からすればサムなぞ子供より孫に近い年齢であることもあるだろうが、何となくサムも意図的かどうか知らないが、いつもの弁護士らしい堂々とした態度を引っ込めている。それはこの街に越してきてからすぐの頃や、それこそ学生だった頃のサムがディーンの職場に来た時の姿を思い出させた。
サムはどちらかと言うと機械は苦手で、だからさっぱりわからない場所に入るというのもあるのだろう、昔から工場ではどことなく居心地の悪そうにしていることが多かった。
激務で毎日夜中まで帰らないサムが、事務所と全然方向も違うこんなところに来ている。どこかに出かけたついでにしてもタイムイズマネーの奴がだ。そう思うだけで何となく笑ってしまいそうになる。
俺も大概ちょろいな。
心の中でそう呟きながらサムに近づいた。
「よう」
「ごめん、いきなり」
どう言ったものかわからず、とりあえず無難に声をかけると、サムもちょっと肩をすくめて答える。
「いや…」
どうした?と訊きかけた声を飲み込んだ。どうしたもこうしたもないだろう。
「ちょっと話せる?」
「ああ」
ディーンは一度中に戻るとチーフに断って、サムを連れて店の一角にある休憩スペースに移動した。コーヒーメーカーから少しばかり煮つまったコーヒーを紙コップに注いで一つをサムに渡す。
「上に泊まれる部屋があるなんて知らなかったよ」
カップを受け取りながらぽつりとサムが言うのに頷く。
「俺もだ。倉庫や資料室があるのは知ってたけどな」
「この上?」
「いや、こっちじゃなくて店の2階」
「ああそっか。じゃあ店内から上がるんだ」
「それじゃ閉店後入れないだろうが。外階段がある」
「…教えてもらってもいい?」
「見ればわかるけどな」
コーヒーのカップを置いていったものか少し迷うが、結局そのまま持って外に出た。
店の裏手に回ると確かに目立たないが外階段がついている。
「…いつまで?」
ぽつりとサムが呟く。主語も何もなかったが、聞いている意味はわかった。手に持ったコーヒーを一口啜って考える。
「まあ、しばらくだな」
「目安は?」
「なんだよそれ」
「僕はすぐでも帰って来てほしいし」
ボソボソと言われる言葉に苦笑する。だがその通りなのだろう。理不尽に腹をたてて飛び出したのはディーンだ。
「悪いな」
「え」
呟くとサムが焦ったように振り向く。
「俺の問題だ。今のまんまだと、またお前にあたっちまいそうだから」
だから考えたいんだ。どうしたらいいのか。
「僕だって悪いんだよ。毎日遅いし」
「それは仕事だろ、別に問題ねえよ」
「でも」
「てか、そういうのを気にしてやたらもの買ってくんなら止めろ。女じゃねえ」
「そんなんじゃないよ。ただこれいいな、とか美味しいからディーンにも食べさせたいな、とかあるだろ」
「菜っ葉とか菜っ葉のスープとかか?」
「トーフもだよ」
「うげえ」
何となく視線をあわせず、並んで店舗を見ながら話す。
「まあでも確かにあのコートは職場向きじゃないよね」
「だろう」
ひさしぶりに足を踏み入れた工場は、清潔で機能化された中でスタッフがそれぞれの作業をしていた。
入り口から見えたディーンは、ちょっと歩いてくる姿をみただけでも生き生きと元気で自信に満ちて、まさにここが彼のフィールドなのだということが良くわかる。
そういえばディーンの仕事風景を久しぶりにみた。懐かしい風景の中で、いかに自分が変わったのかが良くわかる。そしてサムと暮らすディーンの戸惑いも。
いつの間にか、こんなにも自分たちは違う。
工場で働く年上の幼馴染みに会いたくて、無理に理由をつけては工場を覗いた頃。
子供扱いが悔しくて、早く自分も働いて堂々と横に立ってやると思っていた。そんなサムをディーンは口ではうるさがり、からかいながらも、いつも面倒見が良かった。
あの日のままが良かったとしても、もうサムは戻れない。
「でも、一緒にいたいよ」
唐突に呟くが、ディーンは軽く頷いて、
「わかってる」
と呟いた。そして、
「お前、いいのか時間」
はっと気がついたように振り向く。時計を見ると確かに洒落にならない時間だ。
「うん、そろそろ行くよ」
「ああ」
頷いた視線が絡む。少し細めた碧の目。傾き始めた陽に光るまつ毛。微かに笑ってみせる口元。
「週末、会える?」
「そう言ったろ」
「じゃあ週末だけでもこっちに帰る?」
「それはどうすっかな…また相談しようぜ」
「わかった」
頷いて車に向かう。
キスがしたかった。
せめて抱き締めてから別れたかった。
だけど実際には互いに手も触れられないまま、サムは車に辿り着き、ディーンと自分を扉で隔てる。
「じゃあね」
「ああ。夜、電話する」
軽く手を上げるディーンに頷きかけ、サムは車を出す。
帰る場所が違うことが、酷く堪えた。
続く
はい、というわけで別居続行です。平和的別居です。
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