国道を州境に向かう道筋で、予想とほぼ同じ位置に見慣れた四駆の影を見つけて、クレイはホッと肩の力を抜いた。
「何となく見張られている気がする」
と言い出したトムが、いつもの買い出しのようなルートで家を離れて数日がたっている。クレイは前からの打ち合わせ通りに焦る気持ちを堪えつつ仕事を続け、週末になって合流地点に向かった。
幸いにも追手ではないことが昨夜のうちに確認できて、トムとも連絡を取っている。
だから実際のところわざわざ合流地点まで行かなくてもいいのだが、
「大丈夫だから安心して帰って」
と連絡をしたら、
『寝不足だから少し寝てから帰る』
あくび交じりの返事が返ってきた。
「起きたら帰るから、来なくていいぞ。入れ違ってもなんだし家で待っててくれ」
多分、この数日神経を尖らせて過ごしてきたのが一気に緩んだのだろう。昨日までに比べて格段に疲れた声だ。
「でも、どうせだからちゃんと落ち合えるか試してみようよ。明日の朝そっちに行くから」
『そうか』
「どこか泊まる?」
『いや。車で寝る』
「了解。じゃあ、何か朝食買って行くよ」
『うん、頼む』
そして現在に戻る。
緊急事態は過ぎたので、どうせならと買い出しの店を選ぶ余裕までできた。だが希望を聞こうと朝になってトムの携帯にメッセージを入れても返信がない。十中八九眠気に負けて寝ているのだろう、あるいは電波状況も悪いのかも。そう思いつつ、適当なものを調達してきた。
「トム」
バイクを横に止めて運転席から覗くと、トムは予想通りシートを倒して眠っている。近づくバイクの音にも反応せず、どうもかなり熟睡しているらしい。
クレイが家で待つのを止めた理由の一つだ。
ただでさえトムは一回寝ると寝起きが悪い。しかも寝不足の数日の後なんて言ったら、放っておけば夜まで寝ていて帰ってこない可能性だって十分ある。携帯が鳴っても起きないことも多い。
追手に敏感な一方で、こういうところは昔から不思議だ。
軽く何度か運転席の窓を叩くと、やっと慌てて起き上がった。
「悪い。寝てた」
言いながらロックを解くので、車内に乗り込む。
「メッセージ聞いた?」
「ああ。そのあとかけたが繋がらなかった」
「やっぱそうか」
電波の具合なのかなんなのか、セルフォンは便利なようであてにしすぎると時々裏切られる。旅の最中もしばしばあったこの事態に、二人の間ではつながらなかったらとにかく合流地点で待つと決めていた。
「ずっと車に寝泊まり?」
それにしては髭も当たってこざっぱりした様子なのが不思議で尋ねる。着の身着たままかもしれないと思って着替えも持ってきたが不要だったらしい。疑問が顔に出ていたのか、トムが眠そうな顔のまま笑った。
「昨日の夜、連絡とってから少し先のガススタンドでシャワー使ったからな」
「なるほどね」
それまでの数日はクレイの想像通り着たきり雀状態だったらしい。
納得したクレイは荷物からテイクアウトのパックを取り出す。
「食事持ってきたよ」
「うん、助かる」
あくびをしながら振り向いたトムが、やはり半分寝た顔で手を伸ばす。
渡しかけて、クレイがふと手を止めた。
「今日天気いいしさ、外で食べない?」
クレイがそう言うと、驚いたらしく、半閉じのトムの目が少し開いた。
さすがにシートなど持ってきてはないので、ガススタンド周辺で、テーブルとベンチのあるところまで移動してパックを並べる。
「すごいなこれ」
トムが笑ってシロップとバターを大量のホットケーキの上にかける。普段は朝そんなに食欲のないトムだが、疲れたときには結構甘いものに手を伸ばしているので、買ってみたが正解だったらしい。
「あとこれ」
家から持参してきた大きめの保温ポットを木製テーブルの上にどん、と置く。
「なんだ?」
「カフェイン。しっかり目を覚まして帰ろうね」
真冬が過ぎてもトムの寝起きの悪さは筋金入りで、起きて動き出すまではベッド周辺に何度も倒れこみつつ数杯のコーヒーを必要とした。
「至れり尽くせりだ」
蓋に注いだコーヒーの湯気を気持ち良さそうに顎の辺に当てながらトムが呟いて目を細める。午前の陽の光がその髪や伏せた睫毛を金色に光らせて見えるのにクレイは数秒見とれた。
「どうした?」
手が止まっていたらしく、トムが尋ねる。
「会えて良かったなと思って」
見とれていたと言うと、またトムが引きそうで言葉を入れ換える。それでも大袈裟だなと言うかと思ったが、トムは
「そうだな」
と頷いた。そしてふと手を伸ばし、クレイの目の下に少し触れる。
「悪いな。また心配かけた」
「大丈夫だよ」
「なんかげっそりしてるぞお前」
まあ、そうかも知れない。この前のようにいきなりではなく、ある程度心の準備はできたが、やはり心配要らないとわかるまでは不安だった。
何もないような顔をするのは到底無理なことはわかっていたので、あえて黙々と仕事をしていると、周囲が『また恋人に逃げられたのか』とか勝手に解釈してくれたので、否定せず濁している。そのうち周囲が『いつものことだ』などと思ってくれればめっけものだ。
「お前まだ食うか?」
「え」
トムの声でクレイはいつの間にか自分がぼんやりしていたことに気づく。
ホットケーキとコーヒーで満足したのか、トムが自分の分の卵とベーコンをクレイの方に押しやっている。そして手元に目を落とせば、ぼんやりしつつも手と口は動いていたらしく、自分のパックは既に空になっていた。
「トムはもういいの?」
「ああ。コーヒーはもらっていいか」
「もちろん。これ全部トム用だから」
「そうか・・・・」
トムがどでかいポットを見て少し複雑そうな顔をして黙る。何を考えているか丸分かりで、クレイは小さく噴出した。トムが少しむっとした顔をする。
その顔に余計にくすぐったい気分がこみ上げてきて、クレイはくすくすと笑い続けた。
「・・・・変な感じだな」
テーブルに肘をついたトムが周囲に目をやりながらぼそりと言った。
「なにが?」
トムの分のスクランブルエッグとベーコンをせっせと攻略しながらクレイは尋ねる。
「昨日までもうあの家に戻らないかもと思ってたのに、今はなんだかのどかだ」
言われてクレイも辺りを見回した。
本当に天気のいい日で、遠くの山脈もくっきりと見える。風が微かに吹いているのに今更気づく。
「もっと色々持って来ればよかったね。サンドイッチとか」
「それじゃピクニックだろ」
「うん、そんな感じ」
迫ってくる追っ手はいなくて、天気が良くて風が吹いて、君がいる。心が平穏を取り戻す。
「そろそろ戻ろっか」
「そうだな」
伸びをして立ち上がる。トムも数日車で寝たから体がギシギシすると呟きつつ腕を回した。
そして翌日。
「信じられない・・・・・」
地を這うようなクレイの声に、トムはぼんやりと意識を浮上させた。
昨日は夕方家に帰ってきて、片付けも早々にさっさと休むことにした。数日ぶりの湯船とバスボム、風呂上りのビールを満喫して、二人揃ってベッドに倒れこんだ。
久しぶりのベッドでの睡眠も、寝る前のクレイとのキスも気持ちよくて、トムとしては大変満足な朝なのだが、クレイはベッドの上に座り込んで、朝から何か煩悶している。
「どうしたんだ?」
「寝ちゃったよ!」
「・・・・・そっか」
それは全く問題ないようにしか思えなくて、トムは早々に考えるのを放棄した。なにせ数日ろくに寝ないで過ごしたので、まだいくらでも寝られる気がする。
「トム、まだ眠い?」
「眠い・・・」
「まだ寝る?」
「寝たい・・・」
クレイの声が訊くのに何も考えずに答えると、なんだかため息をつきつつ腕が回ってきたのでそのまま身体を寄せた。それほど寒い季節ではなくなってきたが、まだクレイの体温は気持ちいい。
天気のいい、日曜の朝だった。
おわり
はい、というわけで、逃避行から始まってピクニックで終わるクレトムの週末でした。
クレイがトムに洋服やご飯を運ぶのを、同居の2人でやったらどうなるかしらんと思ったんですが、まあいつも通りですね。見詰め合ってホクホク幸せに浸ってればよろしい、って感じです。
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