空腹を感じてトムはそっと暗くなり始めた部屋を出た。
クレイは仕事に出かけていて、まだあと数時間は帰らない。ここしばらく時計を見る習慣をなくしていたが、クレイから自分のことは自分でやれと言われて以来再び時刻を意識するようになっている。
クレイはきちんと朝起きてスーツを着て出かけ夜まで帰らない。週末以外はそれを繰り返す。
(本当に普通に働いているんだな)
クレイがそうして働いた金で買った家に居ついていながら今更だが、あの薄暗い酒場で出会った時は同じような浮き草だった自分たちの変わり様に改めて感心する。
一人暮らしのクレイの部屋だが、ダイニングには小さなテーブルにちゃんとチェアが二脚ある。食器棚にも全部ではないが大体のものが2つは揃っていて、この間のように誰か来たときに備えているのだろうとトムは思った。
フリッジを開けるとピラフやピザ、パスタ類など結構種類の冷凍食品が入っているが、半端なものは食べてしまい、残っているのはセットで包装されているものばかりだ。来客用だとすると下手に使うのもどうかと少し迷う。だが食事は自分で用意しろと言われたからには、クレイもある程度は荒らされるのを覚悟の上だろう。いざとなったらあれを食べるしかないなと思いつつ他を探すと、幸いなことにチーズとクラッカーがあったのでそれをカウンターで立ったままかじった。ついでにインスタントスープもあったので失敬し、ケトルで湯を沸かしてカップに作る。クラッカーは少し湿気ていたがまだ十分食べられたし、自分で家の中で好きなものを探して食べる行為が、なんとなく昔つまみ食いをしたころの気分を思い出させて、トムは少し笑った。
食べ終わると皿とカップを洗って元の棚に戻し、カウンターと床の食べかすを拭く。
椅子を元の位置に戻してダイニングの電気を消し、部屋に戻りかけてふと止まる。
クレイが誰かを連れて帰ってくるかも知れないことを思うと、自分のいる痕跡を消した方がよいと思ったのだが、この間クレイに
「いるんだから部屋の明かりや暖房つけといて」
と言われている。確かに寒い日が続いているし、一応従兄弟という設定もあるから、灯りがついていても不自然ではないのだろう。
リビングの灯りとヒーターをつけ、部屋に戻ったものかどうか迷う。
廃ビルに繋がれている間や、奥の部屋にいろと言われていた時はある意味何も考えなくてよかった。だがこの間クレイに手を引かれて部屋から連れ出され、説明無しのキスを交わして以来、トムはクレイの家の中でどう過ごしていいのか戸惑っている。
・・・・・
鍵を開ける音に振り返ると、クレイがドアを開けて入ってくるところだった。
何となく玄関まで出たトムを見て少し目を見開く。
「ただいま」
「・・・おかえり」
反射的に返してしまうと、クレイがニヤニヤして、トムはおかしかっただろうかと少し悩む。
「ほら」
クレイの方は気にした様子もなく、トムに持っていた荷物を渡した。少しよれたショッピングバックに雑多な服が詰め込まれている。
「ああ」
受け取ったトムは小さく頷き、袋を覗き込んだ。外に出ないトムの服は、クレイがフリーマーケットや古着屋で時々まとめて調達してくる。
「玄関先にぼさっと立ってないで入りなよ」
クレイは上着を脱ぎながらそっけなく言う。
「ああ」
それもそうだとトムは袋を抱えて奥の部屋に入ろうとした。
「ちょっと」
「なんだ?」
後からクレイの声が追いかけてきて、振り返る。
「もらった物の感想も言わずに引っ込む気?」
そう言われてトムは戸惑う。もらうといえば確かにそうなのだが、もともとはクレイがトムをあのビルで『飼う』時に自分から言い出したことだ。渡される服も汚れや破れのないものをできるだけ選ばなければならないようなものばかりだったので、感想もなにもない。
と、そこまで考えて気づく。渡された袋の中身は雑多ではあるがどれも普通に街中で着られそうなものに見える。
何となく袋を持ちあげて顔に近づけ、くん、と臭いをかいだ。やはり臭くもない。
「匂わないな。助かる」
だが言った途端にクレイの顔が見事にむっとして、トムは思わず一歩下がった。この家に来てからハリーが出たことはなく、クレイがそれに不満を言うこともないのだが、もしも怒り出す気配でもあったら速攻で奥の部屋に逃げ込もうと決める。
ハリーやクレイと違って、トムは無差別流血付き格闘の趣味はないのだ。
だがクレイはため息をひとつついて、
「いいけどね」
と言っただけだった。
「食事はしたの?」
ゴミでもついていたのか、トムのこめかみの辺りにちょっと触れながらクレイが言う。
「ああ」
「なに食べた?」
「クラッカーとチーズ」
言うとクレイがまたため息をつく。
「なにそれ。フリッジ見なかったのあんた」
「見たぞ。どれが客用でどれが食べていいのか分からなかったんだ」
トムがそう言うとクレイは三度目のため息をつく。
「客に冷凍食品出すと思うの」
「?出すだろう」
現に先日クレイが女友達を連れてきた時にはレンジの音もしていたように思う。
「・・・構わないから好きなのを食べなよ。無くなったらまた買うから」
「そうなのか」
「そう」
自由にしろ、と言われて戸惑っている自分がなんだか間抜けに思えるが、わからないものは仕方がない。あの日以来、ひどく穏やかなクレイの態度もだ。
だが逆にあの日から、クレイはトムにそういう意味では触れなくなった。それこそキスすらもだ。だから余計にトムは自分の立ち位置に迷う。
それでも今軽く髪に触れている温度は単純に好きだった。
何となく離れそうな気配のそれを追うように顔を動かすとクレイの身体が微かに強張り、トムは一瞬クレイが怒り出すかと緊張する。
だが、予想と逆にクレイは小さく噴出すように笑った。
「あんた猫みたいだよね」
「こんなでかい猫がいるか」
トムは少し憮然として身体を離した。急に自分が何をしているんだと思う。
だがクレイはまたニヤニヤと笑う。
「自分で自分を猫みたいと思ってる男がいたらそれこそ締めるよ。着替えてくるけど、そこにいて」
「服は置いてくる」
「どうぞ」
奥の部屋に戻ってトムは何となくつめていた息を吐く。
クレイといるのも結構長いのに今更ながら色々と慣れないのは何故だろうと考えてみれば、いると言っても自分は何をしていたわけでもない。ハリーを殴らせるにせよ、気まぐれに発散の相手にされるにしても、ただそこに身体を投げ出してきただけだ。
なるほど。クレイが自分のことくらい自分でしろと言うのももっともだ。
「飼う」と「猫」まで頭の中でリンクしてしまい、なんだかウンザリしてくる。猫は好きだがこんな巨大な猫が部屋に転がって食っちゃ寝していたら自分なら放り出す。
妙に納得しながらリビングに入った。
・・・・・・・
ある夜、突然のノックの音に、トムは文字通り飛び上がる。
ぼんやりと外を見ていたので、ドアの外の気配にまったく気がつかなかった。そしてクレイはノックなどしたことが無い。
こわごわ部屋のドアを開けると、ブロンドの若い女が強張った顔で立っている。
「え、と。何か?」
何を言えばいいのかいいか迷いつつ、とりあえず無難な言葉をかけた。
「・・・あなた、この部屋に住んでるの?」
「ああ」
ついに設定を口にする日が来て、トムは緊張した。
クレイの従兄弟。あとは何かあったか。あまり細かいことを訊かれないといいのだが。
だがトムの緊張と期待に反して、問いかけはなかった。女は何やら絶望的な顔をして、トムの頭の先から足の先まで見回している。
「ほら、もういいだろ」
後ろから苛立ったようなクレイの声がした。
「そうね、ごめんなさいお邪魔して」
「いや・・・」
邪魔と言うか、何をしにきたんだか分からない。泣きそうな顔と共に扉は閉められ、クレイと女が言い合う声が遠ざかっていく。
もしかして戻ってくるかとしばらく待ってみたが、ほどなく玄関のドアが閉まる音がして静かになってしまった。と、思ったらずんずんと足音が近づき、今度はノックも無しにクレイが入って来る。
「どうしたんだ」
トムが尋ねるとクレイは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「別れた娘とちょっともめた」
そこで、言葉を途切れさせると、ふうん、と意味不明に呟きつつトムの全身をじろじろ見つめる。
つられてトムも自分の身体を見下ろした。
今着ているのはこの間クレイが持ってきた中に入っていたニットだ。一つだけずいぶんいい品物が混じっていたと思ったのだが。
「それ、似合うね」
どことなく満足そうにクレイが言う。
「彼女があっさり諦めてくれたわけだ」
「お前が着るか?」
トムが尋ねると口がへの字になった。
「あんた用に買ったのを僕が着てどうするんだ。大体小さすぎる」
そうか、とトムが頷くと、クレイは急に「ああもう」と呻き声を上げて頭をかきむしる。
「あのさ、この家はもともとあんたと住む用に買ったってわかってる?全部」
「へえ」
「・・・信じてないな」
「ああ」
即答すると、クレイががくりと肩を落とした。
僕が悪いのか?でもあんたも何もかも真に受けすぎなんだよ。
壁に懐いてブツブツ言うクレイというのは何だか珍しい。
「何かおかしい?」
見ていると壁に貼りつきながらクレイが横目でにらんでくる。
「いや」
口元が笑っているのが自分で分かった。
「お前が馬鹿なのは最初からだ」
俺に一緒に来いって言うくらいだし。
言うとクレイは悔しそうにもう一度呻いた。
・・・・・・・・・・・・
背中から回されていた腕が解かれる感触に、朝が来たことを知ったトムは目を開ける。
ごろりと寝返りを打つと、ベッドの上にで目を覚ますように頭を掻いていたクレイが振り返った。
「起きたの」
「起こされた」
巨大な湯たんぽに急に離れられ、つい無愛想な声が出てしまうが、クレイは気にした様子もない。
「いいじゃない。家主が仕事に行くんだからコーヒーでも淹れてよ」
そう言うと口の端を上げて笑う。まだ眠いトムは反射的に口がへの字になった。
小さくあくびをしながら湯を沸かす。
別段誰に教わったと言うのではないが、何となくコーヒーだけは下手な店で飲むよりも自分で落とした方が美味い。同じ豆で淹れた場合でもだ。一度何かの弾みで淹れたそれを飲んで以来、クレイは迷惑なことにそれまで放っていたトムを無理矢理起こし、朝のコーヒーをねだるようになった。
マグに注いだそれをクレイに手渡す。少し迷ってからもう一つ自分用にマグを取った。
曇り空でダイニングは少し薄暗い。
妙に機嫌のいいクレイと、眠くて機嫌の悪いトムは、テーブルで黙ってコーヒーを啜る。
「今日は夜パスタでどう」
「うん」
朝食を食べながら、夕食のことを話すクレイの胃袋に感心する。トムはまだ胃が動かないので、食べ物を考える気分ではなかった。
「何かソース買って帰るから、大きい鍋にお湯沸かしておいて」
「ああ」
「早めに帰るから、食べるの待ってなよ」
「・・・待ってないとだめか」
「だめ。前は待てたろ」
「・・・落ち着かない」
思わず呟くとクレイが笑う。
「もうあんたを飼うのやめた。同居人だから」
「なんだそれ」
トムはしかめ面をし、クレイは笑ってコーヒーのお代わりをねだる。ポットに残るそれをついでやってから、眠気に負けたトムはカップを持ったまま目を閉じた。
サンドバック兼発散道具の時より、気配を殺して飼われるよりも同居の方が慣れるのに時間がかかるのは確実だった。
おぢまい
・・・と、言うわけでですね。
はい、すみません。ラブラブすぐそこに見えてたんですが、たどり着くにはかりおすとろジャンプが5,6回必要そうでした。ぶっとばしたけどまとまりゃしない・・・
くうう。
露骨に書いたらどーしょーもないけど、ぼかしたらわけわかんないことばっか。
しばらくキヨラカに暮らすがよいです。
今更ながら仕切りなおして、結果何も出来なくなった男クレイでした。
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