よろめくようにモーテルの扉を開け、二人は重い足取りで部屋に入った。投げ出すように荷物をテーブルに置く。
「シャワー先に使うぞ」
ディーンが呻くように言うと、サムは
「どうぞ」
と頷き、息をつきながら上着を脱いだ。そのままだるそうに椅子に座る。
「ちょっと休むから急がなくていいよ」
「ん」
互いに顔を合わせないままに、ディーンはバスルームへ向かった。
狩りの後だった。
霊は倒したものの、犠牲者が出た。自分のものではない血と、泥と、埃を強いシャワーで流しながらディーンはきつく目をつぶる。
助けられないこともある。分かっていても気持ちは沈んだ。
助けたかった相手なら特に。自分の判断に迷いがあったならさらに。
早めにシャワーを切り上げると、サムと交代する。
フリッジを開けるとこんな日に限ってビールしかない。ささくれた気持ちをごまかす強い酒が欲しかった。イライラするままにソファに座ってテレビをつける。賑やかなクイズ番組を睨み付けながら喉の乾きを感じ、やはりビールを取りに行くかと思うが、一度座ってしまうと身体が重い。
「しょうがないよ」
いつの間にか出てきたサムが後ろから静かに言った。
「ああ?」
頭に入らないまま画面を睨んでいたディーンは振り返らないまま投げやりな返事をする。
「助けられないことだってある」
「お前に言われるまでもねえ」
いつもならむっとしそうなものだが、サムは穏やかに
「うん、そうだね」
と答える。そして黙って離れると、フリッジに向かいビールを取り出した。ご丁寧に栓まで抜いて
「ほら」
とディーンに手渡してくる。そして軽く肩をなでると、ソファには座らずそのままテーブルに座ってパソコンを開いた。
隣に座ってきたら『鬱陶しい』と押しやっただろう。が、サムはしない。ディーンの無言の要求をキャッチして、穏やかに合わせている。
古臭いテレビから流れるクイズ番組をぼんやり観ながら、ディーンは身体の力が抜けていくような感覚に眉をしかめた。
サムはここしばらく「夫」のままだ。それが急に酷く堪える。
こんな時は「弟」でいてくれた方が楽だった。ディーンの態度にイライラし、眉間に皺を寄せる弟の前でならディーンは無理矢理でも笑って平気な振りができる。虚勢でも笑っていれば、いつの間にか気持ちもついて来るものだった。
あるいは一人でいるのでもいい。酒やテレビで何も考えないようにしつつ、痛みが薄れて行くのを待つことにも慣れている。
だが、今はどちらもできない。
虚勢で笑っても、苛立ちをぶつけても、今のサムは穏やな目で付き合いそうだ。それをされたらきっとディーンの方がいたたまれないだろう。
ぼんやりとテレビに視線を向けた。騒々しい笑い声。
なんだか酷く疲れる。
冷たいのが救いの安ビールを喉に流し込み、ソファにもたれて目を閉じた。
こんな時は柔らかくて暖かい身体を抱きしめて眠れるといいのに。
固く冷たい死を忘れるためには、そうできたら一番いい。辛かったことの話なんて聞いてくれなくてもいい。他愛も無い話をして、体温を感じて、脈打つ身体を持つ、目の前にいる誰かに抱きしめられたい。今、無性にそれが欲しい。
「ディーン」
声をかけられてハッと顔を上げる。いつのまにかうたた寝していたようだ。そして粘りつくような疲れがなくても、暖かく心音を聞ける誰かを探しに行けない『理由』を恨めしく見上げた。
今、サムが「弟」だったら、ディーンは多少顰蹙されても誰か相手を探しにいくはずだ。
ヘドロのように疲れて一歩も動きたくない気分ではあるが、きっと行けるはずだ。
それにサムの思い込みとは別に、事実は「弟」であるのだから、行ってもいいのだ。反動もないんだからますますいいのだ。
しかし、こんなときでもサムの思い込みに気を使って我慢しているのだ。なんてご苦労なんだ俺。
だんだん思考が投げやりになってくる。
「寝るならベッドで寝た方がいい」
モーテルの安っぽい灯りを遮るシルエット。影になってあまりよく見えない表情。
いや、影じゃなくて俺がぼんやりしてるだけか。
ベッドで寝た方がいいのは分かる。たとえギシギシきしむ安ベッドでも、身体を横にできた方がいいのは当然だ。
それにしても動きたくない。ないったらない。
「ディーン?」
うるせえよ。疲れてんだよ。何もしたくねえし、何も言いたくねーんだ俺は。
お前が俺とふーふだとか思い込んでいるもんだから、俺はおねーちゃんを探しに行けないんだぞ。
おねーちゃんを探しに行くぐらいしか、今立ち上がる理由はないのにそれができないんだぞ。
責任を取れ責任を。
さまざまな恨みをこめてディーンはサムを睨む。
「ディーン、目が半分閉じてるよ」
残念ながら目にこめた恨みはちっとも伝わっていないらしい。声に微かに笑いの気配さえある。
「ほら、行こう」
肩にかけられる手。ちょっとだけ起きて、と言うようにそっと揺すられるリズム。伝わる体温。
「・・・・け」
「え?」
「連れてけ」
動くのがめんどくさくて手を伸ばして要求した。
どうせお前は俺を妻とか思ってんだろーが。だったら大事にしてみやがれ。動きたくねーんだコラ。
口を動かすのも既に面倒になってきて、両手を広げてバタバタさせる。
運べー。
数秒、目を見開いていたサムは、突然顔全体でくしゃっと笑った。
「了解」
そしてゆっくりと固い、でも暖かい腕が脇と足の下に廻る。
「ちょっと首に手を回して」
言われて手を上げると、手首の内側にサムの首と髪を感じる。次の瞬間ぐい、と力強く持ち上げられた。
目の前にニコニコ笑うサムの顔があって、ディーンは急に意識がクリアになる。
(何やってんだ俺は!?)
狭いモーテル、二三歩あるけばベッドだ。ディーンがどこかのおねーちゃんににこれをやられたら絶対にその後を期待する。
抱き上げられたままディーンは固まった。
と、
「大丈夫だよディーン、何もしない」
危なげなく歩きながらサムがディーンの額のあたりで呟いた。
当然ながらあっというまにベッドに到着し、そっと降ろされる。大きな手が髪を撫で付けるように額から頭を撫でた。
「休んで、ディーン。甘えてくれて嬉しかった」
そしてそっと額に触れるだけのキスを落とすとシーツをかけ、
「おやすみ」
と呟くとベッド脇の灯りを消す。そしてまだしたいことでもあるのか自分はテーブルのパソコンのところに戻っていった。
テレビも消して静かな室内。
サムとしては心遣いをしたのだろうが、残念ながらディーンは眠気もふっとび壁側に転がりながらシーツの中で脂汗をダラダラ流しつつ覚醒していた。
頭の中ではサムのさっきのセリフがリフレインする。
『甘えてくれて嬉しかった』
甘え?
甘えと言ったかあれを。スタンフォード出の弟は、いらん時にいらんことを明確にする。
(この俺が弟に甘えるとは)
(ディーン・ウィンチェスター一生の不覚)
脳内グルグルは止まらない。
さっきまでの鬱々した気分どころでなくなったのが不幸中の幸いだった。
・ ・ ・ ・ ・
「ただいま」
ボビーと一緒に買い出しから帰ってきたサムが、大量の荷物を両手に持ってリビングに入ってきた。
「おう」
応えるディーンはテレビのソープオペラから目をはなさない。愛した男が父の仇と知ったヒロインが、悲痛な顔で泣き叫んでいる。
「こら、手伝え。荷物は多いんだ」
ボビーに怒られて、ディーンはしぶしぶソファーから立ち上がった。視線をチラチラテレビに向けたまま歩き、ボビーの荷物はジョーとエレンが分担して受け取っているので、サムの荷物に手を伸ばす。
「ありがと」
半分持ってやると、サムがちょっと笑って頬にキスをした。
「よせって」
顔をしかめて離れるが、サムは頓着しない。
「外じゃないし、エレンたちは元々知ってるだろ。気にしないよ」
「俺が気にする」
袋の中身をテーブルに出しながらつっけんどんに言う。ディーンがいくら声を低くしても、相手のサムが普通の声で話すので意味が無い。ついでに言えばハンターの皆さんはいらんほど耳がいいので、低くしてもどうせ聞こえてしまうのは変わらない。
普段の弟なら、話題がなんであろうとこんな言い方をディーンがした時点で眉間に皺を寄せるのだが、まだ夫モードのままのサムは平気な顔をしている。
「しまうのは大丈夫だから。テレビ、観てていいよ」
目の端で追いかけているドラマの展開に、思わず手が止まっていると、ちょっと笑った声で言われた。
「ああ」
お言葉に甘えてソファに戻りかけたところで、えらく冷たい視線を背中に感じる。
「・・・なんだよ」
振り返ると、ボビーと一緒にせっせと片付けに勤しむ女性陣だ。しかしそこで揺らいでいてはディーン・ウィンチェスターなぞやってはいられない。構わずテレビ鑑賞に戻る。少しするとジョーもテレビの前に戻ってきた。
「どうなったの?」
「仇だったのを知って、撃とうとしたけど出来ずに飛び出した」
しばらく無言であわや、あわやという場面を見守る。
「・・・・サムったら優しいじゃない。一人で片づけしてくれるなんて」
視線はテレビに向けたまま、ヒソヒソとジョーが言った。一瞬嫌味かと思ったが、どうも本気で感心しているらしい。
「あのな」
なのでディーンはちらりとジョーを見て囁いた。
「俺は奴がどっちだろうと、この番組は観るぞ」
「はいはい」
ジョーはちょっと肩をすくめる。
『サムはいいの?後にして見て来てもいいわよ』
後ろでエレンの声がする。別にいいよ、と応えるサムの声。奥の棚で何かしているのだろう。声がちょっとこもって聞こえた。
『どうせ出かけて観てなかったし、現実で足りてるよ』
「・・・・・へえ~」
ジョーがなんとも言えない声を出した。ディーンは渾身の力で表情筋はピクリとも動かさない。が、心の中では絶叫だ。
現実で足りてるってなんだ。ホラー映画やアクション映画なら確かに現実でも分かる。でも、今観ているのは波乱万丈の恋愛ソープオペラだ。
恋愛ソープオペラを見なくても足りている現実。
「すごいわ。ドラマより現実がいいなんて」
「・・・・」
奥から聞こえるサム達の話し声。隣のソファで膝を抱えて一緒にテレビを観ているジョー。多分あと少ししたら始まる夕食の支度。
ホームドラマならわかる。テレビの中の話より、この現実が続けばいい。
だがしかし
クライマックスっぽいBGMに視線を戻すと、ヒロインがピンチを救いに来た恋人と情熱的な抱擁を交わしている。
「・・・・・・早く呪を解いてやらねえとな」
ディーンは口の中で呻く。間違ってるぞサム。色々と。
「もーいいじゃない。脇から見てて区別つかないわよ」
ジョーの声がしたが、ディーンは兄としてその問題発言を断固としてシャットアウトしたのだった。
甘える?冗談じゃない。
END
はい。というわけでリクエストは「SD夫婦でディーンがサムに『だっこ』と甘える」でございました~
Tりさま、素敵な色々と妄想の走るリクエストをありがとうございました!
久しぶりすぎてちょっと自分でもちゃんと夫婦か不安ですが、サムがふーふと思い込んでますのでふーふでございます。(無理くり)突っ込むと突っ込みどころが多すぎますが、勢いを逃すとまたアップできなくなるので上げます!
で、ネタだしの段階で他からも少し刺激を頂きましたので、後日他バージョンのおまけを書けたらなあと思っております。