軽い気持ちだったのだ。
二人はまた、ボビーの家に来ていた。
ちょうどまたエレンとジョーの母娘も来ていて、今更ながらディーンはエレンとボビーは最近狩り以外の場面でも親しいらしいと思い当たり、ちょっとお邪魔虫の気分になっていた。
ディーンとしては例によってボビーにサムのことを愚痴りがてら相談したかったのだが、当のボビーはさっきからエレンと酒の飲み過ぎと缶詰め中心の食生活がボビーの内蔵に与える影響について不利な舌戦を繰り広げている。大変に深刻かつ緊急な話題で、50歳未満のディーンが口を挟める雰囲気ではなかったし、エレンに言い負かされているボビーも、実際のところディーンの応援を求めていないことは見ていればわかった。
孤独な生活をしているボビーに、一緒に生きる相手ができることはディーンとしても嬉しい。
それが旧知のエレンであるならば、さらに嬉しい。死とか恨みとか憎しみとか、ろくなものを見ない日々の中で珍しく明るく暖かい話題だ。
しかしながらそんな事情で、ディーンは悩みとストレスを聞いてくれる先がなくなってしまった。ただでさえエレンはサムの夫状態について、
「無害なんだからほっときなさいよ!」
と言葉にも態度にも出して憚らない。
来たばかりで帰るのも何だが、ちょうど狩りもひと段落ついたところですることもない。しかもサムは今朝までちゃんと弟だったのに、ボビーの家に着く直前にインパラの助手席でうたた寝して、起きたら夫になっていた。最近、入れ替わりのきっかけがますます分かりづらくて、ディーンはピリピリしている。それもエレンやジョーにかかると、
「どっちが出ても同じ態度でいりゃいいでしょう、サムなんだから。いつまでもしつこいわね!!」
と一喝されるのが目に見えている。
そんなこんなでストレスが溜まっていたのだ。ついでに新聞の日付が目に入ったら奇しくも今日は4月1日だった。せっかくのエイプリルフールに、なにも嘘をつかないなんて有り得ない。相手が夫であってもまたしかり。
なので、ボビーとエレンが仲良く喧嘩しているのをぼんやり見ているとき、隣に立つサムが
「どうしたの難しい顔して」
と肩を抱きつつ聞いてきたのに、、
「離婚しよう、サム」
とちょっと言ってみたのだ。
《ディーンの適当な想定》
サムは目を丸くして驚く。
「ええ?なんで」
とか何とか言う。そうしたらさっと右手に持った新聞の日付を見せて、ネタばらしする。サムはきっと
「ああびっくりした」
とか何とか言って
「脅かさないでよ」
くらいの文句は言う。そしたら、
「悪い悪い」
と謝る。エイプリルフールだからサムもそれ以上は怒れず終わり。嘘をつく時間は約10秒。
以上、想定終わり。
・・・予定は未定。現実は違った。
まず、サムが固まった。それもディーンが瞬間的に、「あ、やべ」と思うような顔で固まった。
ついでにいちゃいちゃと喧嘩をしていたはずのボビーとエレンまで振り返って固まった。さらには奥でテレビを観ていたジョーまで凄い顔でこっちを見た。ハンターは皆耳が良い。いらんほど良い。これはいかんとディーンはサムの「ええ?なんで」を待たずにネタばらしに入ろうとしたが叶わなかった。サムの腕ががっしとディーンの胴を抱え上げ、どどどどどと二階に拉致したからだ。後ろ向きに抱えられたのでボビーたちと目が合う。3対の目が揃って
「「「このバカ」」」
と言っていて痛い。それにしてもこの俺を片手1本か。見事な腕力だなサミー。感心しているうちにいつもボビーの家で勝手に使っている客間に連れ込まれた。ベッドにでも投げ出されるかと思いきや、ソファに座るように降ろされる。そしてサムはディーンの前に膝をついた。投げ出していた手をそっと両手で包まれる。
「訳を・・・ディーン」
「あー・・サム」
「教えてくれ、ディーン。・・・とても受け入れられない。耐えられないよ」
見上げる目が涙で一杯になっている。困った。完全にタイミングを逃がした。
「日付」
「え?」
「今日の日付を見ろよ!」
あいにくと持っていた新聞は抱えられた時に落としてきてしまった。サムはちょっときょろきょろ室内を見回した後、ディーンの手を離してポケットからセルフォンを取り出す。しばしじっとそれを見つめ、パチパチと数回瞬きをした後、もう一度ディーンを見て、はああああ、と搾り出すようなため息をついた。そのままディーンの膝に突っ伏す。
「脅かさないで・・・・息が止まるかと思った」
「・・・悪い」
サムのセリフ自体は読み通りだったのだが、5倍くらい重苦しさが増していて、不本意ながらディーンの謝罪も3倍くらい真剣にせざるをえない。まさか泣かれるとは思わなかった。サムは普段から怒ろうが悲しもうが涙腺のゆるい方だから不思議はないのだが、「夫」モードの時は大体いつも穏やかで安定しているので読み間違った。
「悪い」
もう一度謝って、癖のある髪を撫でる。サムは膝にまた頭をすりつけ、腰に回された手に力が入った。今日ばかりは分が悪くて、ディーンは拒まずにその背を撫でる。
「もう我慢するのやめた」
ぼそりと膝に突っ伏したまま、サムが呟く。
「あ?」
ディーンが聞き返すと拘束する腕にさらに力が入る。
「抱くよディーン。これから毎日。ディーンが何を心配して拒むのか分からないけど、大丈夫だって分からせる」
「はああ!?」
咄嗟に離れようとするが胴体は既に拘束済だ。
ぎゃーーまずい!
瞬時に血の気が引いて冷や汗が出てくる。この体勢から逃げ出すには、かなり本気でやらないと難しい。
口は災いの元。注意一秒怪我一生。
昔の人は良いことを言った。
「なんでそう考えなしなんだ」
そうため息混じりに言ったのはボビーだったか。思い浮かべる父の顔は思い切りしかめ面だ。鳥肌の立った腕に、迷いつつも力を込めようとしたちょうどそのとき、サムが顔を上げた。
「なんてね、・・・今日は何の日?」
赤い目をして、微かに笑う。ディーンはがっくり頭を落とし、深々とため息をついた。
「お前な・・」
「ね。いくらエイプリルフールでも、言っちゃダメな嘘はあるだろ?」
赤い目でまっすぐに見詰められると大変に分が悪い。
「分かったよ。悪かったって」
予定の10倍以上の気まずさで謝るはめになり、ディーンは余計にストレスをためることになった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
ふとニュースの画面を見ると今日はエイプリルフールだ。なんだかぼんやりしていて気づかなかった。
ボビーの家では珍しいヘルシーな夕食にありつき(もちろん作ったのはエレンだ)、デザートにチーズケーキまでふるまわれたサムは、せめてもの労働提供で皿洗いをしているところだった。洗いカゴに大皿を洗い上げ、ふと横を見ると皿拭き係の兄はちょっと手を止めてぼーっとしている。視線の先には家主のボビーとエレン母娘がいて、何かヤイヤイやり合っていた。
「ディーン?」
皿拭いてよ。場所が空かない。
そう言おうと思ったのだが、ボビー達を見つめる兄の顔はひどく嬉しげで、何となく毒気を抜かれる。そういえば今年は珍しく、ディーンは何も仕掛けてこなかったな、と思う。大体毎年シャレにならない悪趣味な嘘を(例えバレバレでも)列挙してくるのだが。
ちょっといたずら心が沸いた。
深い意味はなかったのだ。ちょっとディーンがビックリして、「はああ?」なんて言うと面白い。ついでにどうせ嘘なら、悪魔とか不幸とかと関係ないものがいい。
で、
「意外と合ってるよな、あの二人」
と眉を上げてニヤリと笑ったディーンの耳元で、
「ディーンには僕がいるだろ。・・・・愛してるよ」
と、思いっきり甘ったるく囁いた。ところが振り向いた兄は「はあ?」とも「うげ」とも言わず、
「分かってる」
と言って、なぜかサムを見上げてちょっと睨んだ。そして、
「-------!」
すい、と近づきキスをした。唇に。サムが固まっていると少し表情を固くしたが、そのまま黙って皿を拭くと、テレビの方へ行ってしまう。
(なになになになに)
サムはちょっとパニックだ。ちょうどボビーがフリッジに飲み物を取りに来たので思わず飛びつく。
「ボビー!ディーンが変だ」
「なんだ慌てて」
「き・・・キスされたんだけどさっき」
かなりプライベートな話なので一瞬迷うが、言わないとこのパニックは説明できない。だが。
「なんだ。ネズミでも出たのかと思えば」
とボビーおじさんは動じない。僕たち兄弟の変異はネズミ以下なのか。そんな不満が顔に出たのだろう。
「お前ら兄弟、今更だろう」
とても冷静に言われてしまった。今更と言われても、ディーンと日常的にキスしてたのなんか10歳までなんだけど。
(やっべえやっべえやっべえ)
ディーンの方も青くなっていた。妙に改まって「愛してるよ」と言ってくるので、まだへこんでるのかしつけえな、でもちょっとは優しくしてやるかと思ってみたら、いつの間にやら弟に戻っていたらしい。
どーしよう、どうごまかそう?
びっくりしたあの顔は絶対に弟だ。何を思って「愛してる」なんぞと言い出したのか知らないが、とりあえずこの後どうごまかすか。
「なに慌ててるの」
焦りつつ無意識にボビーの酒棚を漁っていたら、後ろからエレンに声をかけられた。なんだかとても自然にこの家の女主人だ。
「いや、・・・さっきサムがうっかり変なままだと思って相手してたら普通に戻っててな・・」
細かいことは言いたくないのでぼかしたのだが、予想通りエレンは鼻先で笑い飛ばしてくれた。
「なんだ。キッチンで水漏れでもしたのかと思ったわ」
俺とサムの問題は水漏れ以下か? そう思ったが口を開くまもなく、
「良かったじゃないの。早いトコそうすればよかったのよ」
と畳み掛けられる。そしてディーンが口をパクパクしている間に酒棚の中の一番いいボトルを迷いなく掴んで、リビングに戻ってしまった。
夫でも弟でもどっちでも同じにしてればいいだろうと言われても、兄としてはそうも行かない。行かないったら行かないのだ。
結局安ウィスキーのボトルを抱えた兄と、ビール瓶を2本掴んだ弟は寝室に入った瞬間に、
「「今日はエイプリルフールだから」ね」
と同時に口にして、
「「笑えないことするなよ」」
と返事まで重なり、はああああああああ、と揃って深々とため息をついたのだった。
リビングでのボビーとエレンとジョーの話のネタはボビーの体脂肪率の話から兄弟二人のことに移り、大いに盛り上がったのだが幸いにも兄弟の知るところではなかった。
おわり
リクエスト下さったk様、本当に色々とありがとうございました~~~!