やっとモーテルにチェックインしたのはとっぷり日が暮れてからだった。
夕方にはこの町に着いていたのだが、手ごろなモーテルがやけに混んでいて、空いている部屋を見つけるのに手間取ってしまった。
「あー、やれやれ」
荷物をどさりとベッドの脇に降ろし、ディーンは伸びをする。
前の街の事件は、結局彼らの領域ではなかった。だから今は情報を探しながらの急がない旅だ。
次の事件の情報が何かあるかどうか調べつつ、数日滞在する予定だった。
サムは昨日のバレンタインからまだ「夫」のままで、モーテルのソファの上には例の巨大な花束がそのままバサリと置かれている。
数日滞在するならバケツなり花瓶なりを借りてきていけてもいい。インパラにこれを積み込んだとき、サムは嬉しそうにニコリと笑ったから、対「夫」用にはやはり効果ありだ。
弟に戻ったらさぞかしキーキー言うだろうが、そうしたら速やかに捨てればいい。
窓から外を見つつ、花束の今後の処遇について思いふけっていると、後ろからサムがそっと腕を回してくる。
「お疲れ様」
すっぽりと背中を覆いつつ、体重はかからない。器用だ。
「明日は運転代わるよ」
「急ぎじゃねーし、2,3日は様子見で滞在してもいいだろ」
「いいよ、もちろん」
首に触れるサムの頬が温かい。ぼーっとしていたら、ごく自然にうなじを軽く吸われ、おもわず身体が跳ねた。
「おい」
反射的に振り返ったのは失敗だ。
そういえばこの流れは、あの家で過ごしてた頃の末期のパターンだ。
思い至ったのは至近距離にあるサムの顔が、さらに近づいてきてからだった。
唇が眉に、鼻に、軽く触れる。そして触れるか触れないかの距離で下に移動する。
まずい。
やばい。
思ったときにはキスが深くなっている。
濡れた感触とサムの体温。
汗に混じる弟の、色んな意味で馴染んだ匂い。
激しいキスではないのに、久々の接触にくらくらする。
今からでも何でも、突き放さないといけないのに胸に置いた手にはどうにも情けないような力しか入らない。弟とのスキンシップに弱いにもほどがある。
「先にシャワー使う?」
そっと離れた後、耳元でサムが囁いた。
ここで頷けば展開は見えている。その先に続く泥沼も。
せっかくサムが正気に戻った後、ろくすっぽ女の子と遊ばずに過ごしてしまった自分が悪い。ディーンは自分を罵る。発散してないから、こんな時にぐずぐずになるんだ。
「それより飯だ。腹減った」
押し返す手が弱いのは、邪険にしてサムを傷つけると元に戻りづらくなるからだ。声に今ひとつ力が無いのも以下同文。
「・・・すぐに行くの?」
何かが気になるように言うサムの、その理由までは考える気がしなかった。
ダイナーで食事をすると、ディーンは少し気分が立ち直ってくる。隣のテーブルを拭いていたウェイトレスが、ちらりと意味ありげな笑顔を寄こしたのにさらに気分が良くなった。だが、
「浮気すると彼氏が怒るよ」
と、テーブル担当のおばちゃんにすかさず叱られ、再び滅入りこむ。何が辛いって、サムがこの状態のときは「彼氏」呼ばわりを否定できないのが辛い。
せめて男が二人で食事しているだけなのになんでいきなりカップルと思われるのか、そこの辺りをおばちゃんに追求したい。
気分直しにバーに移動した。
だが、どうも今日は日が悪いらしくサムがちょっと席を立つと途端にディーンの周囲に妙に男が寄ってくるので無茶苦茶酒が不味い。何人目かの阿呆の背中をけり倒してもう一杯注文した。
にこ、と笑って酒を注いでくれたバーテンダーはなかなか可愛いが、サムの背中を目で指して、
「ちょっと怖そうだけどハンサムね」
と囁いた。
珍しいな、とディーンは思う。うちのサミーはあんまり女の子に怖がられるタイプじゃないんだが。
ここは兄としては擁護したい。
「いやいや、優しい奴だよ。よかったらどう?紹介するよ」
とブルネットのバーテンダーにお勧めする。だが途端に、
「いやあね、変な惚気!」
と睨まれた。
えーと待て。
ディーンはバーに入ってから今までの己の行動を振り返るが、どう考えても店に入ってカウンターで飲んでるだけだ。サムとはほとんど会話すらしていない。
モーテルならともかく、バーで男の二人連れなんぞ珍しくも無いはずなのに、なにゆえにカップルと断定されるのか。もしかしてさっきのおばちゃんと親類か。
ショックを受けていると、
「なんだいあんた。彼氏と喧嘩中なのか?」
とまた男が寄ってきた。これまた「ちがう!!」とぶん殴りたい。しかし何だか今やると手加減ができそうもない。
無視していると、ぬっとでかい身体が男とディーンの間に割り込んできた。
「僕の連れだよ」
背を向けたサムの顔はディーンから見えない。だが男は意外に粘る。
「こんな坊やより俺とどうだ?今夜」
「・・・それ以上言ったら殺すよ」
サムの声はディーンが聞いたところ、大して迫力があるわけでは無かったが、男は速やかに退散した。
「お前なあ」
とディーンは呆れた声を出す。酔っ払いを散らすのに、一々殺すと脅してどうする。だがサムはディーンの視線を受けても動じない。
「だってディーンを侮辱した」
隣を見上げると眉を吊り上げて怒りを顕わにしている。眉間に皺がくっきりと寄り、「夫」モード中としては珍しい。
「綺麗な恋人持つと心配ね」
とバーテンが笑った。ちがうよ、とディーンが口を開きかけた時、
「恋人じゃない。夫婦なんだ」
サムの声が妙にはっきりと店の中に響いた。
その瞬間、店中の視線がこちらを向いた。間違いなく向いた。
国道沿いの小さな町。
例えどんな悪霊が出ようとも、どんな災害に見舞われようと、この町には二度と足を踏み入れない。
そう、心に誓ったディーンだった。