モーテルのバスルームで髭を剃っていると、珍しくディーンより後にサムが起きてきた。
「おはよ」
「ああ」
ちらりと視線が合い、サムはふわあ、と大きな欠伸をする。最近少し長くなっている髪が、いっそ見事なまでにあっちゃこっちゃと寝癖で撥ねている。それが薄く不精髭の伸びた顔となんだか不釣り合いで、ディーンは剃刀を使いながらちょっとニヤニヤ笑った。
ちょっと入れて、というようにでかい身体がのっそりと右側に入って来る。お互い20数年に渡る付き合いの賜物で、ディーンは無言で半歩だけ左にずれてやった。
サムが口をゆすいで髪を濡らした後、ディーンが顔を洗う。髭剃りクリームを洗い流していると、右斜め上から、
「あ、そうだ。ディーン誕生日だね」
サムの声がした。
「ああ」
そういえばそうだった。数日前には覚えていたのだが、狩りだ移動だという中で、今年もつい忘れていた。
「なんだ、豪華プレゼントでもくれんのか?」
タオルを使いながら何となく軽口を叩く。と、
「いいよ。何が欲しいの」
弟にはありえない返事が返ってきた。ぎょっとして横を見ると、髪をふき終わったサムがにっこり笑っている。
(げ)
何がスイッチになったのかわからないが、急にサムは「夫」だ。
目を丸くしているディーンを見て、また笑う。
「誕生日おめでとう」
腕が背に回ってきて、耳元に軽い感触が触れる。
「・・・サンキュ」
他にどう言えばいいというのか。とりあえずそのザリザリした顔を擦り付けるな。
「いてえぞ。髭剃れあほ」
「ごめん」
タオルで押し返すが堪えた様子もなく笑う。性懲りも無くもう一度旋毛にキスをして、やっと髭を剃り始めるサムを置き、ディーンは急いでバスルームから退避した。
相変わらず突然「夫」モードになるサムだが、今回はまた唐突でびっくりだ。
原因が何なのか、折りに触れては調べ、ボビーにも引き続き頼んではいるが、彼も色々と忙しいらしい。
さらに、その度ごとの対処療法ではあるがちゃんと元に戻るため(今回は短期間のせいか狩りのこと等は大体覚えている)、ボビーの最近の言動には、エレンとジョーではないが、
「まあ、そんなに被害もないんだし」
と言いたげな気配が見えかくれする。
(そんなこと言ってほっといて、何か大変なことになったらどうすんだー!)
とディーンとしては気が揉めて仕方がないのだか、どうも焦っているのはディーンだけのような気がしてきて、さらに困る。テーブルに手をついて思いふけっている間に、サムがバスルームから出てきてしまった。
「どうしたの、しわが寄ってるよ」
ちょん、と緊張感なく人の眉間をつついてくるこいつがそもそも困っていない。
(お前のせいだ、お前の)
思ってそのまま目の前の顔を睨みつけると、何を思ったんだか、
「心配ごと?」
と尋ねてくる。まさにその通りだが、本人に気遣われるのでは本末転倒だ。
だから、
「教えねー」
と舌を出してやった。するとサムは見事なまでに目を丸くし、次の瞬間、顔中で笑う。
「可愛いなあもう!」
何がだてめー、この男前で弟思いなお兄様を掴まえて、ふざけんなこのバカは!
抗議の言葉は引き寄せられた分厚い胸板に圧迫されて出口を失う。
ぎゅうぎゅう締め付けてくる腕は、誇張なく万力のような強さだ。真剣に苦しくなってきたディーンがもがくのに気づき、やっとサムが腕を緩める。
「ごめん」
「・・・・・・っ」
背中をさすってくる手のひらに抗議したいが、呼吸を整える方が先決だったりする。
「あのさ、ディーン。狩も昨日で終わったし、今日はデートしようよ」
ごめんね、と背中を撫でながらサムが言う。
「はあ?」
「もしも上手くタイミングが合えばいいなと思って、この辺りの店や観光スポット調べておいたんだ」
「はああ?」
そんなお前、まだらな「夫モード」の間に、しかも狩りの準備しながらいつの間にそんなもん。
疑問は多々あるが、問題はそこじゃない。
「ディーンの誕生日に狩が終わってて良かった!」
満面の笑みを浮かべるサムは、どう見ても「お祝いしたい」期待と希望に満ち満ちている。
ということは。今の夫を満足させるためには。
お誕生日デートに行けと。