ハンターの仕事というのは大体においてろくでもない。
不潔な場所や陰気な場所での仕事はしょっちゅうだし、大怪我をしたり命を落とすはめになる危険はいつも隣り合わせだ。世間からは感謝されるどころか、犯罪者扱いが関の山。この『聖なる仕事』に従事したが最後、ちょっとやそっとのことではまっとうな暮らしに戻ることは難しい。
苦労をわかってくれるのは同じようにハンターをしている奴くらいだが、どいつもこいつも手に負えない事情を抱えた連中ばかりだから、簡単に仲間意識は持ちづらい。
つまりは孤独だ。
それでもただ一つ、自分達にしかできない方法で他の人間を守っているということ。
人に害をなす魔物の存在を知り、『狩る者』であるという誇りが、ハンターとして生きるろくでなしを人として踏みとどまらせている。
ところがだ。
ディーンは思う。
今の俺はなんだ。
悪魔の手先になって、人間を守ることとは無関係に、指定された魔物を追っている。
当てにならない報酬と、人質の脅しによって。
しかもその人質が、恐ろしく守り甲斐がない、魂の抜けたロボット野郎ときたものだ。
いっそ脅しのネタが、動かない弟の身体だけであった方が、よっぽど苦労のしがいがある気がする。
兄弟は今、クラウリーの指示によって草原地帯に来ていた。
クラウリーがご執心の「アルファ」が、この辺に潜んでいるらしい。
背の低い木が所々に群生している他は何もない。
道路から外れたこのあたりにはもちろん街やモーテルどころかスタンドすらとんと見かけなかった。
「このあたりか?」
助手席に視線をやらずに尋ねる。
「そう」
さっきからじっと地図を見ているサムが答えたのでディーンはゆっくりとインパラを止めた。
サイドブレーキを引き、外に出る。
「ディーン?」
咎めるようなサムの声が追ってくる。
「まだだよ。奴が出るのは夜明け前だ」
「うるせえ。足を伸ばすだけだ」
振り返らずに答える。
取り繕うことを止めたサムは、目的に向かっている時に直線以外の行動を理解しない。
「ああ、そうか」
ディーンの言葉で“足を伸ばす”という目的を理解したらしく、自分も降りてくる。
背の高いその姿。
癖のある髪。
サムの身体を乗っ取った『何か』であった方がよほど気が楽なのに、欠けたピースがあるだけで、サム以外の物は何もこの存在を構成していないという。
殺人的に照っていた陽は傾き、雲が少ない空が、青から茜色に変わりかけていた。
長時間の運転で強張った手足を伸ばす。隣ではサムがゆっくりとしたストレッチをしていた。
空に青の成分がなくなった頃には、さすがにこれ以上屈伸をする気にもならず、ディーンは後部座席に回り、積み込んだクーラーボックスから瓶を取り出した。
習慣で2本取り出し、いるか?と手振りで示すと、最近には珍しくサムは頷き、手を伸ばしてきた。
愛車のボンネットに寄りかかり、プルトップを引く。視界の端に、サムが同じように空を見上げているのが映った。
視線は空に向けつつ、ディーンの感覚は喉を過ぎ胃に落ちて行くビールの冷たさを追い、しかし実のところ全てのアンテナは1メートルほど離れたサムに向かっている。
「目が覚めたときにさ」
ふいに、サムが話し出した。
「空がこんな風な色だった」
「いつの話だよ。お前、“戻って”以来眠ってないんじゃなかったのか」
「だから“戻った”時だよ」
思わず振り向いた。
サムはディーンを見るわけでもなく、少しずつビールを飲みながら空を見上げている。
「最初はそこが落ちた先なんだと思ってた。倒れたままでだんだん夜になって、星が出てきたあたりでやっとなんでだか僕は地上にいるらしいって思いついた」
ディーンは思わず空を見上げる。
あの日地の底に飛び込んだ後、サムが見た景色。
「それから、別の世界にいるんじゃないかと思った。ちょうどここみたいに地面と空しか見えなかったしね。喉がかわいて歩き出したらそのうち街に行き着いて、異世界じゃなくてアメリカなんだってわかった」
「そこから俺に電話すればよかったんだ。すぐにでも迎えに行った」
ディーンの呟きにサムは答えない。
「僕はあの時、ルシファーを自分ごと封印するつもりだった。ディーンも納得した。もちろん覚えてるよな?」
当たり前だ。
ほんの1年前。
忘れるわけが無い。
『終末』を防ぐために、サムを犠牲にする道を
俺は選んだ。
「僕は髪の毛一本、戻って来れるなんて期待もしてなかった。それが身体だけでも帰って来れたんだよ。僕は一年前に終わるはずだった。だけど今はここにいて、五体満足で、ディーンとしゃべってる。ビールまで飲んでさ。これだけでも凄くないか?」
サムの言葉に、今度はディーンが沈黙する。
「完璧を求めないでくれよディーン。一部が戻れただけでも有り得ないんだ。今の僕を認めろよ。欠けたところはあるけど、僕は確かにあんたの弟だ」
「・・・戻れただけでラッキーなんだったら、謙虚にすごせよ。俺が認めようと認めるまいと関係ないだろ」
貼り付いたような口を、無理やり開く。
「でも、あんたの態度が前と違うのは気になるよ」
ちっとも気にしていない口調で、サムが言う。
「奇遇だな。俺もそうなんだ」
サムらしくないお前の言動が、癇に障って仕方ないんだ。
「ディーンは身体も魂も揃ってるだろ」
「うるせえな、他人のことはどうでもいいんだろ」
「うん、どうでもいいけどさ。直すからディーンも前みたいにしてよ」
表面の行動だけ取り繕ってどうするというのか。
確かにフリだけでもしろ、と言ったが、それによって自分が今のサムへの態度を変えられるかと言ったらノーだ。
他人ならともかく、あれだけ近かった兄弟の『変化』に気持ちがついていかない。
「無駄話は終わりだ。夜中過ぎまで俺は寝る」
無理やり話を切り上げ、ディーンはインパラの中に戻った。
サムも肩をすくめて助手席に戻る。
「シート倒すぞ。お前は寝ないなら外に立ってろよ」
ごわごわするジャケットを脱いでシーツ代わりにかけながら横を見やると、サムが眉をしかめた。
「キャスじゃあるまいに、睡眠がいらなくても何時間も立ってたら疲れる」
そしてそれきりディーンには目もくれず、シートに仰向けになると目をとじてしまった。
・・・・・・・・・・・・
魂が司るのはなんだ?
身体も記憶も、ここに確かにあるというのに。
ディーンの怪我は大きなものではなかった。
だが、その場での手当ができなかったことと、さらにその後泥水の中で格闘するはめになったからだろう、傷は膿を持ち、翌朝にはディーンは起き上がれなかった。かなり熱は高い。
「破傷風のワクチンは打っていたよね」
サムが冷静な声でディーンに確認した。
「ああ」
霞む世界の中で、出したつもりの自分の声が自分では聞こえない。
だが、サムには聞こえたようで、頷くとその大きな身体はディーンの枕元から離れて行った。
痛い
熱い
目が回る
こんなときは不思議と魂の欠けたサムの、淡々とした態度がかえって楽だった。
今は自分のことだけ考えていればいい。
サムは俺を気にしない。
ディーンは目を閉じた。
「ねえ、ディーン、大丈夫なの?」
あれはまだサムがエレメンタリーに通っている頃。ディーンが珍しく風邪で寝込んだことがあった。
熱で朦朧としているディーンの枕元に、サムは何度も来ては、怒ったような声で繰り返した。
「大丈夫なの?」
見れば分かるだろう、何度も同じことを聞くな。イライラして目を開けると、霞んだ視界に声とは裏腹に泣きそうな顔をしたサムがいた。
とたんにディーンはガンガンと痛む頭やぎしぎしときしむ関節のことよりも、小さいサミーを安心させてやらなければという思いで一杯になる。
「大丈夫だよサミー。一晩寝てれば治る」
無理やり口角を上げてみせる。ニヤリと、上手く笑えただろうか。
「大丈夫なのディーン」
また同じことを言いながら小さな手のひらが額に当てられる。大きくて乾いた父の強い手とは違う。柔らかいそれから伝わってくる、甘く優しい感情。
ひんやりと感じるその手を心地いいと思いながらも、サミーに風邪をうつしてはいけないと思う。
「大丈夫だサミー。うつるからお前は離れてろ」
「何?傷からの熱はうつらないよ」
不意にクリアな声が耳元でして、ディーンはぎょっと目を開けた。
視界一杯にサムの顔があり、再度驚愕する。起き上がろうとして、わき腹に走った痛みに呻いた。
「いきなり動かない方がいいよ。縫ったし、開くほど大きな傷じゃないけど」
言いながらサムが背中に手を回し、ゆっくりと起き上がるのを助ける。
部屋の中は灯りをしぼって暗い。
「今、何時だ」
「夜8時くらいかな。狩りをした夜から2日経ってるけど」
「アルファはどうした」
「2日前奴らに引き渡したよ。ディーンは僕が出かけても大丈夫だからさっさと行けって言ってた。・・・覚えてない?」
「ああ・・言ったかもな」
たかだか掠めた程度の傷で、二日も寝ていたとは驚きだ。
身体を起こして見回すと、狩りにかかる前にチェックインしたモーテルとわかる。
「水飲む?」
「ああ」
「手を離すよ」
サムが言って、背中を支えていた手を離し、冷蔵庫に向かって立って行った。
傷はじくじくと痛むが、既に山を越していると経験で分かる。
「もう飲める?」
水のボトルを差し出しながらサムが尋ねる。
なにを当たり前のことを聞くな。そう思いながら、ふとひっかかるものを感じた。
それは距離なのか、視線なのか。
「お前・・・・何した」
「なにって、ディーンに薬を飲ませようとしたけど、ちっとも上手く行かなかったから飲ませてあげてたんだろ」
飲ませるってなんだ。
言おうとした口に、サムの唇が触れた。軽く、啄むようにして離れる。
「・・・・!」
「なんだ。これも覚えてないのか」
サムが無表情に言って、ボトルの蓋をひねって開けた。
「ほら」
手をつかんでボトルを持たされる。
「自分で飲めるんならこぼさないでよ」
その顔には苛立ちも、からかいも、何一つ浮かんでいない。
ガラスのような目でこちらを見るサムから視線を外せないまま、ボトルを口まで運び、水を含む。嚥下すると喉仏がごくりと動き、こぼれた水が口の端から顎をつたい、首筋に流れた。
水の流れを追って、サムの視線が肌を辿る。
「なんなんだお前・・・ウェイトレスに色目を使ってたと思ったら、男も女も身内も見境無しにサカるようになったのか」
起きた瞬間はずいぶんすっきりしたと思ったのに、頭に血が上ったせいだろうかグラグラする。視線を断ち切るように、もう一度水をあおった。
「そんなわけないだろ。寝るなら女の方が良いに決まってる」
サムはやはり怒る様子もなく立ち上がり、鞄からタオルを取ると投げてきた。
「たださ、寝てるディーンを見てるうちに思い出した。ぼくは・・地獄に落ちる前、旅してるときずっと思ってた。ディーンの唇にキスしたらどんな風だろうって。だから確認してみたんだ」
隣のベッドに腰掛けながらサムは言葉を続ける。
「言っておくけど、僕はディーンに確認したよ。ディーンはいいって言った。覚えてないみたいだけど」
「・・・・お前がそんな風に俺を見てたとは、とんと気がつかなかったぜ」
声が掠れるのは熱の名残だ。
ディーンの言葉にも、サムはただ頷く。平らな、感情のない顔で。
「必死で隠してたからね。あんたに嫌われるのが怖かったからさ・・・・なんで怖かったのか、思い出せないんだけど」
淡々と告げられる言葉は、まるでサムからの遺言のようだ。
目頭が痛いように熱くなる。
サム
サム
お前
地の底でお前は今も切り刻まれているのに。
残された身体からこんな言葉を聞かされて、俺はどうしたらいいんだ。
こみ上げる感情が喉につかえて、ディーンはベッドの上で膝を抱えた。
倒れそうになったボトルをサムの手が取り上げる。
近づいた身体をそのままに、サムが言った。
「気にするようなら言っておくけど、キスしかしてないからね」
サムが話すたび、その声が鼓膜に響く。
サムが近づくと、見ていなくてもその体温を感じる。その匂いも。
「良かったぜ。これ以上ムカつくことが増えたら、飯を食うより前にバスルームに直行するトコだ」
顔が上げられないまま、せいぜい嫌悪に満ちた声を絞り出す。
「ひどいね。いいって言ったくせに」
肩をすくめる気配がして、サムが離れていった。
その背中に吐き捨てる。
「覚えてて欲しけりゃな、熱で呻いてないときの俺に言え」
「冗談だろ?僕は確かめたかったんだ。断られると困る」
絶句したディーンを振り向きもせず、サムは「起きたなら僕はちょっとパソコン使うよ」と部屋の灯りをつけだした。
ディーンはもうその姿を見たくなくて、もう一度横になる。
傷に触らない姿勢を探して動きながら、思い出して確認した。
「アルファを届けた時、クラウリーは約束について何か言ってたか」
「何も」
淡々と返ってくる声。
「受け取りに来たのは下っ端の悪魔だったしね」
ある意味予想通りの答えに息を吐き、ディーンは今度こそ本当に寝なおそうと目を閉じた。
傷を治すために。
戦える身体に戻るために。
たとえどんなに変わり果てていたとしても、ディーンは弟を守らずにいられない。
あの日の小さな手のひらと、確かにつながっている存在を地の底に戻させたりはしない。
だからもう、これ以上何も言うな。
枕に顔を埋め、キーボードの音を頭から締め出しながら、ディーンは固く目を閉じた。
END
兄ちゃんは辛いよ。
どんな設定でも、結局兄ちゃんばっかりが苦労するなあ・・・すまん、兄。