「嘘だろ……何年か前に結婚したって言ってたじゃないか」
「うるさいな。するつもりだったんだ」
広いテーブルの端と端に腰かけて、兄弟は呆然と見つめあっていた。
ウィンチェスターは中西部を中心に活動する賢者の家系の一つだ。活動の中心というわけではなかったが、主に天使系のスペルに適性のある者が多く、大きな仕事のある際は何らかの役割を負うことが多かった。
先代のジョンには二人息子がいたが、長男のディーンは若いころから熱心に活動に取り組んでおり、両親の他界後そのまま家を継いだ。一方、次男のサムはどちらかというと学業に熱心で、大学を卒業した後は法律家になるために遠く離れた州のロースクールに入っていた。
二人は仲が悪いわけではなかったが、クリスマスやサンクスギビング、ハロウィンなど、家族が集まるような行事があるときというのは、魔物の活動も活発になるためディーンが家にいないことが多く、逆にその他のシーズンは駆け出しの法曹家であるサムにほとんど休みがとれず、なんとなく直接は会わないまま年月が経っていた。
「考えてみればそうだよな。いかにうちの実家が非常識だとはいっても、結婚式すらしないとかありえない」
「いや、あるって。ボビーのとこはそうだったぞ。特に相手が一般人だと不特定多数に顔を知られるのは避けた方がいい場合もあるし」
「……ああそっか、記憶違いじゃなかったんだ……」
「クリスマスに家族がバラバラに仕事してるとか、いまどき婚約者の写真をネットで送らないとか…」
頭を抱える弟に、兄が言い聞かせる。
「いやお前、いくら暗号化しても危ないんだぞ。顔と名前が一致したら、かけられる呪いはいくらでもあるんだ」
「………呪いなんて自分のリスクもあるんだからそうそうかけないだろ…」
「普通はな。でもうちの直系の身内だったら、攻撃する価値はある。脅す価値もな」
「やだなあ……」
想像つくだろうか。
10年ぶりに実家に帰ってみたらほぼ空き家になっていて、結婚して子供もいるんじゃないかと思っていた兄は、一人で組織の共有物件の留守番をしているだなんて。
オンラインでしょっちゅう顔は見ていたというのに、「今出かけてる」だの「もう寝た」だのという適当な言葉をすっかり信じ込んでいた。
「他の家の連中は何してるんだよ」
「色々あるんだよ。爺さんたちが引退の年齢だったり、下の代は他の仕事に就きたがったり」
「なにそれ……」
言いかけて口をつぐむ。まさに自分がそれそのものだ。だって嫌だったのだ、魔物とか呪いとか。
「それにしても、この場所地下だろ。ずっとこの中だと健康に悪いんじゃないのか」
午前中の陽の光を浴びるのはメンタルヘルス上も重要だ。だが、サムがそう言うとディーンは声をたてて笑った。
「そんなことを言われるの久しぶりだな!」
よほどツボに入ったのか肩を震わせて笑っている。
日光とか運動とか栄養とかな。うん、大事だよな。
「…ちょっと、兄貴、大丈夫か」
笑う兄はラフなシャツにデニムを履いて、頬にはうっすらと無精ひげが生えている。それはサムが家を出る以前には思いもしない姿だった。いつもあれこれ煩い結社の連中も口をそろえて認める品行方正な跡継ぎだったのだ。
「で、お前どうする?」
「え」
「悪かったな。色々黙ってて。俺はここから動くわけにはいかないが、見てきた通り実家はそのまま残ってる。ここほどじゃないが設備も整ってるから、使うなら好きに使っていいぞ」
「どうするって」
「こっちで仕事をするんだろ?しばらく誰も住んでないから掃除はいると思うが、電気や水道は通ってるから、直ぐに使えるぞ」
「僕がいると邪魔になる?」
「そんなことはないさ。ここは広いから離れた個室を使えば、お互いそんなに気にせず過ごせる」「……ただ、お前は誰かと住むんじゃないのか?」
「え」
「………同じ仕事してる恋人と住んでるって言っていただろう」
「ああ。前ね」
「前って」
「この業界、難しいんだよ。休みは少ないし、同じ仕事だとかち合うこともあるし」
「そっか…」
少し沈黙が落ちる。
「兄貴はここに24時間365日いないといけないの?」
サムが尋ねると兄は目をぱちくりと見開く。思ってもみなかったという顔だ。
「いや、そういうわけでもないが、なにかあったときいちいち行き来するのも面倒だしな」
聞いたサムはため息をつく。
「じゃあ、普段はあっちの家を使おうよ。ここは確かに何かするときには便利だろうけど、住む環境としては難ありだよ」
「だから…」
「僕も一人で使うのはさすがに広すぎるよ。戻ってきたからいいだろ、ここは通いにして、住むのは家!」
「お前なあ…」
しばらく呆れたような顔をしていたディーンがちょっと笑って、まあいいけどな、と呟いた。
サムが家を離れるときの家業のイメージは、読書、実験、会議会議会議だ。
しかめつらしい顔をした壮年の男たちが夜ごと集まってはテーブルの周りで延々と酒を飲みながら話し込んでいた。
サムがそう言うと、ディーンは「いっそ懐かしいな、その光景」と笑った。
サムとディーンが育った家は、穴倉のような基地から車で1時間ちょっとの街中にある。荷物をまとめて明日にでも、と言ったサムに兄は苦笑して、文字通り鞄一つで立ち上がった。
さて、これからどうしよう。
懐かしの実家に文字通り兄を引きずって戻り、簡単に掃除をしてからそれぞれの部屋に引き上げた後になって、サムは頭をかきむしった。
「参った……」
10年も経てば、お互い変わっていると思っていた。婚約者ができた、結婚する予定、来年の春。そのあたりまでで見るのやめたので、連絡の間が開いた。その後はサムからはあえて訊かず、そのままになっていたのだ。
「いや、もう、どうしよう……」
事務所のデスクで頭を抱えているサムに、後ろから冷たい声がかかる。
「いや、何も悩む必要なくない?」
事務所のアシスタントをしているケビンだ。
ロースクール時代になりゆきでルームシェアをして、それ以来の付き合いになる。
「いやだって、まさか今まで独り身だなんて思わないじゃないか。あの兄が」
「兄弟が結婚していようがいまいが、どうでもいいと思うんだけど」
単純な疑問を呈したケビンは、信じがたい愚物、と言いたげな視線を受けて顔をしかめる。
「何言ってるんだ。下手したら子供が二人くらいいるんじゃないかとか想定したのに」
「独身で困るなら別に住めばいいんじゃないの」
「だってお前、地下室みたいなところにずっと一人でいるっていうんだぞ!ほっとけるか」
「10年ほっといたくせに」
「ううう」
いいから仕事しなよ、と促されてサムはしぶしぶ立ち上がった。
サムが知っている実家の稼業は、繰り返すが研究と実験と会合だ。
だから帰宅して夕飯をとった後、兄が普通の顔をして銃の手入れを始めたのをみて仰天した。
「待って待ってディーン。銃なんて何に使うの」
「護身用だ」
サムが口をパクパクさせている間にディーンはさっさと銃の手入れを終え、今度はショットガンを取り出した。
「何でショットガン?!」
「威力が大きいからだ」
兄はまた簡潔に答えるが、聞いてるのはそういうことじゃない。荒事など縁遠い家業のはずなのに。だが幼児のごとくなんでなんでを繰り返すサムを前に、その後もディーンは狙撃用の銃ややたらと頑丈そうなナイフ、それはなんですかと尋ねたくなる刃渡りの長い刃物など、物騒なもののメンテを延々と続けた。
「あんなもん使うような家業のはずじゃないのに!」
事務所で頭を抱えていると、またケビンに白い目を向けられる。
「十年もたてば業態変更しても不思議はないと思うけど」
「そうなんだけどさあ!くそう親父め」
「それより、その大量の銃器はちゃんと登録されてるの?」
アシスタントから本業方面の確認をされて、サムはピタリとグズるのをやめる。
「そこは問題ない。取り扱い免許もあるし、届けでもされていた」
「じゃあ問題ないね」
「そこはな!」
そう、びっくりはしたが別に問題はないのだ。
普通なら。
自分が昔から兄に向けている感情があまり普通ではないと気付いたから家業からあえて離れたし、もう社会的道義的にどうにもならないくらい互いの生活が固まったころを見計らって戻ってきたのだ。
だというのに、懐かしの我が家で二人きりとはどういうことだ?
「家に帰ると、ディーンが帰ってくるんだぞ」
「そうだろうね」
「または僕が帰るとディーンが『おかえり』と言って家にいるんだ!」
「そういうこともあるよね」
「どうしたらいいんだ!!」
「実家だと都合が悪いなら部屋探す?」
今なら勤務としてリサーチするけど?
そういいながらパソコンの前でスタンバイして見せるケビンと数秒間視線を合わせた後、
「いや、いい」
と首を振ってサムは仕事を再開した。
……………
というですね、本編風の服装した賢者育ちの兄貴と、弁護士スーツを着た弟の同居から始まり、
遅かれ早かれくっつくだろうなというネタでございました。
何度書いてるのかなーこういうの。
[15回]